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日本史ひとこま

運慶のリアリズム

鎌倉時代

鎌倉時代

運慶のリアリズム

建仁3年(1203年)は運慶にとって記念すべき年となった。東大寺南大門に巨大な金剛力士像が完成し、運慶は僧侶の最高位・法印に任ぜられたのである。 すでに治承4年(1180年)、平重衡(清盛の子)が、ことあるごとに平氏に反抗的な奈良の仏教徒に...
鎌倉時代

8代執権 北条時宗の苦悩

我が国は直接大陸の利害が及ぶことのない孤島である。このためこちらから手をださなければ、容易に外から攻められることはない。 しかし、2度だけ手を出したことがある。一度目は天智天皇、2度目は太閤秀吉である。 663年、天智天皇は百済の要請に応じ...
鎌倉時代

本願寺物語

もともと本願寺はお寺でなく、廟堂である。 1262年、親鸞は亡くなったあと、「大谷」の地に納骨され、のちに信徒が参詣するための廟堂が建てられて「大谷廟堂」と尊称された。 廟堂は親鸞の末娘・覚信尼の子孫が代々世襲、管理するようになり、3代あと...
鎌倉時代

異色の上皇 ”後白河上皇と後鳥羽上皇”

現役の天皇が次の天皇を意中のひとに継がせるため、早めに天皇を辞して上皇となり、若き天皇が育つまで後ろから操る傀儡政権の仕組みを、院政と呼ぶ。 院とは上皇のこと。したがって院政をしいて権力を振るう上皇は「治天の君」と呼ばれた。最高権力者の意で...
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