医師から癌と告げられるのは誰だって怖い。
テレビで「3人寄ればひとりは癌で倒れる時代だ」というのを聞くと、心配で居ても立ってもおれないというひとがいる。こういうかたは人に言われなくても、早め早めに検診をうける傾向にある。
気苦労は多いだろうが、頻回に検診をうけるため、早期発見されて命拾いすることが多い。結果的に寿命は延びるのだから、良しとすべきだろう。
また、自分の身は自分で守るという信念から、毎年検診をうけるひとも少なくない。彼等の口からは、一家の働き手だから倒れるわけにはいかないという話しをしばしば聞く。
また検診者のなかには、会社の指示で来ているだけで、自分に限って病気であるはずがないと、はなから結果を気にしないひともいる。たしかに、見るからに健康そうな人が多い。
一方で、まったく検診を受けないという人たちも、相当の数にのぼる。
多忙でついつい検診を受けそこなったというひともいるのだが、驚くのは、癌と言われるのが怖いから検査しないというひとが、少なからずいることだ。
確かに心配性には違いないが、その程度が並外れている。
そのため、もし悪い病気が見つかればパニックに陥るから、怖くて病院にいけないという。
また、検診を受けないという人の中には、自分は癌になるわけがないと、固く信じているひともいる。医療側が道理をつくしても、受け容れようとしない。
以上のように検診を受ける、受けないは、そのひとの人生観によるようだ。
こうして検診の結果、異常が見つかった場合には、それ相応の治療を受けることになる。
多くは食事に注意するか、しばらく薬を飲めばよくなるのだが、もっとも問題になるのは癌など悪性の病変が見つかった場合である。
この場合には、ただちに本人と相談のうえ、治療を進めるのが普通である。ほとんどの方は、信じられないという思いで、しばらく動揺を隠せないが、やがて事実を受け止め、真剣に治療に取り組むようになる。
ひとつには、治療すれば治る癌がずいぶん増えたことにもよる(前立腺癌、乳癌、子宮癌、胃癌など)。
ところが、医師の説明に全く異なる反応をして、こちらが驚くことがある。
世の中には、癌だと言われ動揺しない人はいないと思うのだが、ときに無表情で、まったく動じない人に出会うことがある。
一見、普通のひとにしか見えないのだが、医師の説明をまるで他人事のように聞き流し、癌と言われて表情の変わることもない。
感情の起伏がないため、こちらが不安になるほどだが、治療には素直に応じてくれる。
生来の性格か、特異な人生観によるものかは、判然としない。
さらには、静かに癌の告知を聞き終えた後、治療を拒否する人に出会うことがある。いかにも近寄りがたい、孤高の人というかたもいたが、他の2人は宗教家でも、学者風でもない、一見普通のひとである。
3人とも、「もうこれ以上、長生きしたいとは思いません。十分生かしてもらったのだから、思い残すこともありません」と、じつに淡々としている。
すでに死を受け容れる覚悟が出来ていて、医師の入りこむ余地がない。
天涯孤独の身であるとか、最近連れ添いを亡くしたという人がいて、それとなく心情は計り知れた。
その後、受診することもなく、連絡もつかぬため、どのような経過をたどったかは知れない。
この世には、治療すれば治ると聞いてなお、何もしないという選択をする人がいる。
その是非を他人がとやかく言うべきではないが、どうしても、もどかしい気持ちを払拭出来ないのは自分ひとりではないだろう。