日本人の宗教心/RELIGIOUS-SPIRIT

妙好人

妙好人

妙好人

医師になって2年目で、まったく頼りない医者だった頃のはなしである。当時、大学の医局の指示で、地方の県病院に赴任したばかりだった。

初夏の頃、家族に付き添われて80すぎの老婦人が来院した。聞くと、40度の高熱がひと月以上続いているという。

熱のわりに本人の表情は意外に明るく、にこやかである。
とりあえず入院して精密検査をしましょうということになった。
入院後、ただちに、熱を下げる薬を飲んでもらったが、しばらくするとまた元に戻ってしまう。

ひと月も高熱が続いたのなら、誰だってからだがだるく、気力も衰え、無表情になるのが普通である。
ところが、この患者さんは熱で顔を赤くしながらも、少しも苦しそうな表情をしていない。
それどころか、柔和な表情はまったく崩れることがない。6人いる大部屋の患者さんとも、仲良く談話している。

回診に行くようになってふと、彼女は宗教か何かを信仰しているのではないかという印象をもつようになった。
なぜかというと、肝心の熱が下がらないというのに、本人はまったく他人事のように涼しい顔をしている。それどころか、自分と会うたび、彼女は手を合わせて、ありがとうございますと感謝の気持ちを表わしてくれるのだ。

自分は医師になって、患者さんに手を合わせて拝まれたのは初めてだったから、驚くと同時に、穴があったら入りたいという気持ちだった。一向によくならないと、なじられて当然だったからだ。

今までこんな人に会ったことがなかったから、よほどできた人だとは思ったが、なにか信じるものがないと、こうはいかないのではと感じ入ったものだった。

そのうち血液検査の結果が出て、急性白血病と判明した。ご家族にはそれと知らせたが、本人には言わないでくれと頼まれ、そうすることにした。

1か月がたって依然熱は下がらず、彼女は食欲が低下し、衰弱が目立ってきた。
同室の患者さんからも、自分を見る目が厳しくなっているのを感じるようになった。

ある日、回診に出向くと、見舞客が来ていた。衰弱した彼女の顔を見て、「はやく大きな病院へ移らないとだめだよ。こんなところにいたら、死んでしまうよ。」と言っている。
自分と目が合うと、ぷいと横を向いてしまった。

すると彼女が言った。「こんなに大事に手当てしてもらえるなんて、本当にありがたいことだ。だのに、なんでわざわざほかの病院へ移らないといけないんだね。私はずっとこの先生に診て頂くつもりだよ」。
一瞬あたりがシーンとなった。様子を見守っていた同室の患者たちも、見舞客も無言だった。
自分はおもわず目頭が熱くなった。

当時、この白血病には有効な治療法がなかった。したがってなんとか話題を避けないといけないのだが、ありがたいことに、彼女は自分が何の病気か、なぜよくならないのか、一切尋ねようとしない。

およそ、日に日に病状が悪化しているのに、感謝しかないという人がこの世にいるのだろうか。
どう考えても、心の中ではさぞかし不安であるに違いない。それに対する答えを自分は持ち合わせていなかった。

どう慰めていいか分からず、今日は如何ですかと問いかけるしかない日々だった。それでも彼女は笑顔を絶やさず、「ありがとうございます。とてもいいです」としか言わない。
数か月後、とうとう彼女は声も出せないほど弱ってきた。

しかし回診に出向くと、相変わらず自分に手を合わせることだけは止めなかった。
いよいよという日、彼女は声を振り絞って「先生、お世話になりました」といってこと切れた。最後まで笑顔だった。

50年経った今も、このひとのことは忘れることができない。
彼女の枕元には、聖書や仏教の本とてなく、お祈りも念仏も聞くことはなかった。
いったい、彼女の心の支えになっていたものは何だったのだろうか。

後日、鈴木大拙が『日本的霊性』のなかで, 浄土系信者のなかには学問も修業もしてないにもかかわらず、まるで得度しているようなひとがおり、彼らを「妙好人」と呼んでいるのを知った。

たとえば、室町期、赤尾の道宗というひとは本願寺・蓮如の説法に魅せられて、在家ながら修行僧のごとく、毎日のおつとめを欠かさず、月1回は瑞泉寺での蓮如上人の説法を聞きに行き(片道6時間)、年2、3回は何日もかけ、山科本願寺参詣という難行を欠かさなかったという。そして終生郷里に居て、人々に阿弥陀如来の本願を伝え、信心に努めたといわれる。

また、明治大正期、下駄づくりの職人・浅原才市というひとは、真宗の説教を聞いて感動し、以後信心に励むようになった。そして, 阿弥陀仏と共に生きる喜びから、「才市もあみだもみなひとつ」「自分が下駄を削つて居るのではなくして、南無阿弥陀仏が下駄を削つて居る」など、得度したかのごとき法悦の境地を多数詩歌に詠み、今日に残している。

自分はこの妙好人の話しを読んだとき、ただちに亡くなった彼女の姿が目に浮かんだ。
彼女の祈る姿は一度も見なかったが、信心深い家庭で育ったのかもしれない。あるいは大きな不幸に遭ったのち、なにか悟るところがあり、諦観するようになったのかもしれない。

すべて自分の勝手な想像に過ぎないが、いまだに妙好人と聞けば彼女のことを思い出し、懐旧の念に駆られてやまない。

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