我が国で浄土といえば、通常、阿弥陀仏の極楽浄土を意味している。
その極楽浄土に念仏を唱えることで往生できるという浄土信仰は、すでに飛鳥時代、インド中国を経て我が国に伝わり、浄土教として上級貴族の間に浸透していた。
平安中期(1052年ころ)、釈迦の教えが及ばなくなり、仏法が正しく行われなくなるため仏教が廃れるという風聞が広まり、末法思想と呼ばれて世間には暗雲が立ち込めた。
このため、この世が終わるという恐怖と自分だけは極楽浄土へ行きたいという願いから、貴族の多くは寺の建立(平等院鳳凰堂など)や寄付に精出した。
平安の終わりになって、法然は比叡山を降り、それまでの難解な経典の読解や難行は不要として、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで極楽往生できるという新説を唱えた。
そのおかげで、貴族だけに独占されてきた仏教は一躍庶民の手にも届くようになり、民衆に信仰の道が開かれた。
ここに我が国初の自前の宗派・浄土宗が誕生したのである。
その法然を生涯の師と仰いだのが親鸞であり、29歳で比叡山での修行を終え、69歳の老境にあった法然の門に入った。
彼はヒトが生まれ持っている業の深さに悩み、なぜ仏は多くの煩悩を抱えた人間をこの世に生まれさせ、わざわざ苦悩させた後に救おうとされるのだろうと考え込む。
その結果、煩悩を経なければ救いはないのだという悟りに達する。
そしてわれわれ凡夫は煩悩から解放され自力で悟りを得ることはできないとし、「南無阿弥陀仏」と唱え、阿弥陀仏をひたすら信じれば(絶対他力)、仏の本願によって救われるとした。
つまり阿弥陀仏は人類を救いたいという願い(本願)から仏になったのであるから善人,悪人を問わず救わずにおれない存在である。
ここにいう悪人とは、俗に悪事を働くものの意ではなく、いくら功徳を積んでも、煩悩から逃れられないと観念しているほとんどの衆生を指している。
そして法然がその悪人でも往生できるとしたのを、親鸞はさらに発展させ、そういう悪人こそ往生できるから尊いのだといった(悪人正機説)。
親鸞の絶対他力の教えは多くの日本人の心をとらえ、室町期に至って蓮如の努力により、史上最大の宗教集団に育っていった。
以後、織田信長を相手に10年に及ぶ石山本願寺の合戦に耐え、江戸時代には徳川家康から恐れられ、東西の本願寺勢力に2分されるほどになった。
ちなみに親鸞は浄土真宗の開祖とされるが、本人は終世、法然の弟子と考えていたため、親鸞本人に新しい宗派を開いた自覚はない。