大学を出たとき、もう一生、試験とはおさらばという解放感に満たされた。無論、そう考えても不思議ではないだろう。
ところが大学の研究室にはいると、毎週のようにカンファレンスが開かれ、研究成果を述べねばならない。それを纏めて発表するため、数か月に一度はいくつかある学会のどこかに演題を提出せねばならず、帰宅できるのは日付が変わった深夜というのが日常となった。
こんなはずじゃなかったと思った。
どうみても自分の能力では、目の覚めるような研究成果は期待できない。しかしいかに些末なテーマであろうと、解明されてないものならば意味があると、しばしば教授から指摘された。
やむなく国内外の論文に目を通し、なにか新しい挑戦ができないか頭をひねるのである。
何もないと思える処から、なにかを見つけ、そこから或るものを産みだすという地道な作業である。
ない智慧をしぼって、産みの苦しみを味わっていると、深夜、帰宅途中の先輩に、どうだい研究は進んでいるかと声を掛けてもらうことがあった。
当時、自分は肝臓から排泄される胆汁の動きを調べ、胆のうや胆汁の排泄口であるオッディ筋の動きと腹痛の関係を調べていた。
A先輩はどれどれといって、自分の研究結果を眺めていたが、突然、ホワイトボードに数式を書き始めた。
胆汁の生成速度、粘度、胆管の弾力性などを考慮して、胆道の機能不全が起こった時におこる胆汁の流れを数式であらわそうというのである。高校時代教わった微分、積分の式が次々と書き込まれていく。自分の頭には、微分は瞬間の速度、積分は変化する距離というぐらいしか記憶に残っていない。
どうもこの人は自分が何年もかかってやっていることを、一晩で解決しようとしていると感じた。
およそ自分では考えもつかない数式を見ながら、茫然自失となったのを覚えている。
意味のある研究とは、与えられた難しい数式を解くというのではなく、数式そのものをつくる作業なのだと深く感じ入った。
こんなアカデミックな雰囲気で4年間、指導してもらった結果、なんとか研究論文をものすることが出来た。
ところが、これでお終いとはいかなかった。医学博士を取得するためには、論文審査に加え口頭試問、さらにドイツ語と英語の筆記試験が必要だという。
卒業してもう試験はなかろうと高をくくっていたら、今になってドイツ語の試験だという。学生時代に戻って、忘れかけていたドイツ語を、再び勉強し直さねばならなかった。
やっとのことで論文審査も終わり、今度こそ試験からは解放されたと、喝采を叫んだものだったが、その後試験はないものの、学会の認定医や専門医、指導医などの取得、維持に、気の緩む暇もない。
追い打ちをかけるように、最近運転免許センターから、認知機能検査の試験を受けるよう連絡があった。
もはやこの世で生きていくには、歳とっても学問をしないわけにはいかず、今頃になって福沢諭吉の「学問のすすめ」を愛読している。