四季雑感/SIKI

職人芸だった胃カメラの時代

職人芸だった胃カメラの時代

職人芸だった胃カメラの時代

職人芸だった胃カメラの時代

かつて胃の検査といえば、まずレントゲン検査であった。バリウムというドロッとした液を飲み、発泡剤という粉で胃を膨らませ、からだの向きを変えながら胃の写真を撮るのである。我が国は胃ガン大国であったから、この技術が発達し、数ミリの胃ガンでも写真にとることが出来るまでになった。

それに比べると、胃カメラは実用化されて日が浅いため、カメラそのものが太くて固く、検査にあたって一大決心をするほどの覚悟がいった。したがってレントゲンで癌が疑われて初めて、胃カメラをうけるのが常であった。

1970年(昭和45年)頃、亡父の胃カメラ検査に同行したことがある。ガンの疑いで本人は決死の覚悟だから、自宅からガンセンターまで車で1時間の運転を買って出たのである。

ガンセンターのI先生は当代随一と評される術者である。先生は私が医学生だと知って、検査室に自分を招き入れ、父親の検査を見学するようにいわれた。
ところが、当時の胃カメラにはファインダー(のぞき窓)なるものがないから、誰も胃の中を見ることが出来ない。

暗室のなかで、I先生は父の口から胃カメラを50㎝ほど挿入した。カメラのフラッシュがたかれるたびに、父の腹部が明るく光る。その光り具合で、胃の中のどこを撮影しているのか分かるのだという。まるでアクロバットのようだ。
検査のあとカメラから細長いフィルムを取り出し、高松の現像所に郵送するため、出来上がった写真がみられるのは一週間もあとである。

I先生は折角だからと、すでに撮った胃カメラのフィルムを数本、映写機にかけて見せてくれ、若干の説明を加えられた。私は初めて見る胃の内部写真に少なからず興奮を覚えた。
紛れもない人体の内部である。突然、神秘的世界に遭遇した気がした。

一方、胃カメラのあと、父は衰弱しきっていた。
帰りの車のなかで、シートを倒して寝込んだまま、「もう二度と胃カメラは受けない」とこぼした。それまで子供には、決して弱みを見せることがなかったから、随分驚いたことを覚えている。
肉親の苦悩は子供にとって、何かを決めるきっかけになるようだ。将来胃カメラの道に進もうという気分が、どうもこの時から湧き上がってきた気がする。

胃カメラからファイバースコープの時代へ

なにも見えない胃カメラから、実際に胃の中を覗けるようになったのは、ファイバースコープが登場したおかげである。ハーショヴィッツ(米国ミシガン大学)の工夫により、曲がっていても光を導ける細長いガラス繊維を数万本束ねることにより、直接胃の中が覗けるようになった。画期的な事件ともいうべき出来事であった。

さらに数年後には、このファイバースコープにカメラが取り付けられ、写真撮影もできるようになった。
1973年、自分が医師になったのは丁度この変革期であり、あっというまに胃カメラの時代は終わり、ファイバースコープの時代に入っていった。

こうして、直接胃の中を観察出来、写真撮影も可能になったが、リアルタイムに胃の中を観察できるのは施行する医師一人だけであった。
しかもスコープは強く屈曲されると、そのたび数万本あるガラス繊維が数本づつ折れてしまう。すると撮影された画像に折れたガラス繊維の黒点がシミのようにつくため、長期の使用には耐えられない欠点があった。

この時期でも、胃の検査は依然としてレントゲン検査が主流であり、それで異常が疑われればファイバースコープで検査を行うというのが通例であった。

ファイバースコープから電子スコープ、ハイビジョンの時代へ

ところで1980年代の後半、検査時に胃の中を観察できるのは一人だけという不便と、しばらく使用すると鮮明な画像が得られなくなるという弱点を取り除いた電子スコープが登場した。
電子スコープは光入力を電気信号に変換するCCD(固体撮像素子)を用い、胃の画像を電気信号に変換してモニター画面に映し出すもので、画像はきわめて鮮明となり、複数の医師が同時に観察できるようになった。

そのうえ、電子スコープそのものが細く柔らかくなり、苦痛を感じることが少なくなったため、胃のレントゲン検査は次第に廃れ、最初からカメラを飲む時代が到来した。

さらに10年後(2002年)には、高解像度で高精細画質のハイビジョンに対応した液晶ディスプレイを用いることにより、胃の微細な血管や粘膜の表層構造を詳細に観察することができるようになった。
おかげでより初期の癌が診断しやすくなり、早期癌であれば外科手術に頼らず、内視鏡で観察しながら癌を切除する技術が発達し、今日に至っている。

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