総選挙直前に、悪代官、藤井の首をとって自民党支持へ流れを一挙に加速しようとした官邸の思惑ははずれた。
5時間もかけて辞職の言質を取れなかった石原大臣の狼狽と道路公団藤井総裁の徹底抗戦が浮き彫りとなっている。
藤井氏は自分の身を西郷隆盛になぞらえ、“自分は薩摩人であって、地位に恋恋とするたちではない”という。
よく知られているとおり、西郷というひとは私心を捨てて、国家の将来を考えた人といわれる。
ただ政治観が大久保らとあわず、失意の下野となったが、私利私欲がなく、地位に留まるを潔しとせず、まして隠蔽体質とは無縁であった。
最大の魅力は、そばにいるだけで相手を安堵させる人であったということだろう。
道路公団民営化推進委員の猪瀬氏が藤井氏を“納豆のようなひとで、切ろうとしてもなかなか切れない”と評していたが、氏の言動からは西郷さんの対極にいる人物という印象をうける。
ここで、われわれ日本人の倫理観、矜持について考えてみたい。
鎌倉幕府首脳は、土地の安堵を願って集まってきた関東の開拓農民に武器を持たせて武力集団とした。
そして京の貴族に圧力をかけながら、その忠誠心が外へ向かわぬよう“名こそ惜しけれ”と彼らの自尊心を鼓舞し、うかつに恥はかけないという世界を演出した、と推測する。
そして、これが後の武士道へつづくわが国の倫理観の根幹をなしていると思われる。
同じ道路公団民営化推進委員の大宅映子氏が、藤井氏の引き際は日本男児とは思えないと残念がっているが、この日本男児こそ“名こそ惜しけれ”を体現する人とのおもいであろう。
2600万の退職金をふいにしてまで、法廷闘争へ持ち込もうとしているようにみえる藤井氏。
誰かが見返りを用意したうえでの行動か?と勘ぐられてもしかたがない氏の行動を見ながら、こういう粘り強く相手をうんざりさせる人こそ、北朝鮮交渉にもってこいだと思った次第である。