昭和30年頃のはなしである。
亡母の里は市の郊外にある農家で、松の植わった庭の一部が家の縁側に接している。別に玄関はあるのだが、縁側からだとすぐ居間に上がれるので、家人はしばしばここから出入りした。むろん鍵などはかかっていない。
小学校の夏休みに出掛けると、庭から居間は丸見えなのに、家人は少し離れた畑に出て留守である。
黙って上がり込み、冷蔵庫のものを飲んで、寝転んでいるうち、寝入ってしまうことがあった。戦後の荒んだ時期が終わり、生活にゆとりが出たためかもしれないが、あまりの無防備に、子供心にも不安を覚えた記憶がある。
生前母親から聞いた話では、農家ではどの家も大勢の家族が同居していたから、空き巣に入られる心配などしなかったという。また家のそばに蔵があり、大事なものはそこに入れて鍵をかけたから心配はなかった。しかも田舎では近所付き合いが濃厚で、たとえ留守をしても、近所の目が光っているから、不審者の入り込む余地はなかったという。
一方、街中にある自分の家では、戸締りは母の実家ほど緩くはなかった。昼間、玄関に施錠はしないが、夕方には必ず鍵をかけた。まして鍵をかけずに家を留守にすることはなかった。他のうちもほぼ同じだったように思う。町では近所付き合いがさほどに濃厚でなかったということだろう。
昭和27年に進駐軍が日本を去り、昭和30年代に入ってようやく世の中が明るくなったように感じた。神武景気に支えられ、家の灯りが白熱電球から蛍光灯になり、電気洗濯機、電気冷蔵庫が家庭に入り始め、34年の皇太子御成婚パレードを機に白黒テレビが一挙に普及した。戦後最初の国家的慶事で、美智子妃の美貌も話題になり、1500万人もの日本人がテレビにくぎ付けとなった。学校が早く引けて、家族みんなでテレビのパレードに見入った記憶がある。
街の道路はアスファルトに舗装され、それまで行き来していた馬車やリヤカーが消え、車に取って代わられた。自宅前の道路も舗装された途端、子供たちの遊び場から車道に代わってしまった。最高の遊び場を取り上げられ、随分がっかりしたことを覚えている。
昭和40年代に入ると、世は順調な高度成長期にあって、住宅事情も変化が見られた。
それまでの学生は、大家と同居して4畳半の一室を与えられ、朝晩の賄いまでしてもらう(下宿屋といった)パターンが一般的だった。
しかしこの時期、これに対抗して、二階建ての木造アパートが盛んに建てられるようになった。木賃アパート(木造賃貸の略)と呼ばれ、トイレは共同、風呂は銭湯と決まっていた。これだと、賄いはないが大家の顔色を伺うことがなく、プライバシーの侵害も起きないので、多くの学生がこちらに移った。
各部屋には鍵があってもかけるものは少なかった。したがって他人の部屋には簡単に入れるのだが、ものがなくなったという話しは聞かなかった。だいたい学生は貧乏である。金目のものは置いてないから、泥棒も入らなかったのだろう。
その当時、仲間と奈良へ出かけ、古民家風の旅館に泊まったことがある。その時、隣部屋との仕切りはふすまだけだった。それでも事件はおきていないと聞いて、だれも文句を言うものはなかった。
そういえば明治中期に来日した小泉八雲(ラフカディオハーン)は旅館に宿泊した際、隣の部屋との仕切りがふすまと障子だけなのに驚き、戸締りを必要としない日本人の高潔さに感動している。
今の日本にふすまで仕切る旅館は皆無だろう。だれもが、隣部屋の人に疑心暗鬼である。
日本人に限らない。豊かになれば、奪われたくないという本能が目覚めるからだろう。
昭和50年代には、所得倍増計画の成功で生活は格段に豊かになり、このころから盛んに戸締りを言い始めたように思う。
好景気に後押しされて、2階建ての木造や鉄骨アパートが次第に消え、鉄筋コンクリートによる高層マンションが盛んにつくられるようになった。
隣との仕切りが厳重になったおかげで、近所との行き来がなくなり、どんな人が住んでいるのかも分からない。こうなると、玄関は開けっ放しと言うわけにいかない。
あなたは富裕層だからと、建築業者におだてられた結果、住人は幾重にも戸締りに執心するようになった。
さらに平成に入ると、20階,30階という高層マンションが林立するようになり、都会ではマンションの数が戸建ての半数にまで急増してきたといわれる。
また近年、核家族化が進むにつれ、一戸あたりの住民の数が少なくなり、このため人々は家の安全に不安を感じるようになった。
そこで警備会社に勧められるまま、防犯カメラから防犯ベル、精巧な施錠を施して、やっと安堵しているようにみえる。
しかし本当に盗難、強盗は増えているのだろうか?
実際はそうでもないようだ。
強盗件数は,平成15年に戦後最多の7,664件を記録した後,毎年減少を続け、令和元年には1,511件(路上強盗21%、コンビニ強盗11%、住宅強盗10%)と戦後最少となっている。
ちなみに令和4年の住宅強盗は129件と、世間が騒ぐほどには多くない気がする。
だから安心せよというわけではないが、防犯対策にのめり込み、ノイローゼになるのもどうかと思う。
それにしても、現代はうかつに相手を信用してはならない時代になった。
玄関に警察官が来ても、警察手帳を見ない限りは、戸を開けてはならない。まして見知らぬ人などに、心を許してはならないという。
許したばかりに被害に遭った人のニュースを聞くと、その昔、ふすま一枚でも、隣人を信用した日本人の矜持はどこにいったのかとおもう。
かつて、豊かになるほど心は貧しくなりがちだと、知足のこころを説いた坊さんがいたが、「ひとの性(さが)は如何ともし難し」という気がする。