猫の額ほどの庭に居て、のんびり眺めていると、蝶が花の蜜を求めて飛び交っている。花の数は知れているので、いくつか花を訪れてはまた、元の花へ戻るのが見える。
さっき行ったからよそうと思わないのか、それとも行ったかどうか忘れたのか、蝶の本心はどうなのだろうとぼんやり眺めていた。
あんな小さな目だから見える距離は僅かだろうし、視力は0.01程度というから、小さな花など見えてないのではないか。しかし聞くところによると、蝶には人には見えない紫外線が見えるので、花の中心部の蜜の有る部分だけが緑に見えるため、簡単に蜜にありつけるのだそうだ。
しかも我々から見ると、一見雄雌の区別はつかないが、オスの翅は紫外線を吸収するので黒っぽく、メスの翅は紫外線を反射するので白く見えるためオスがメスを誤認することはないという。つまりは、こういう能力を獲得した蝶だけが生き残っているということになる。
蝶の寿命は10日程度というから、僅か数日でパートナーを見つけないといけない。そして慌ただしく受精をして数日で一生を終えることになる。くつろぐ暇もない、誠に気の毒な一生だと同情に堪えない。
ところで犬猫猿などは仲間とじゃれ合っているのをみかけるが、蝶は身振り手振りを含め、仲間と話し合うことはないのだろうか。夜、家族と団らんすることはないのだろうか。専門家によると、蝶が群れ合って見えるときは、複数のオスの蝶が一匹のメスをめぐって取り合いをしているので、友好を深めているのではないという。
10日間、誰とも話さず一生を終えるなど、寂しすぎる。自分の運命を呪うということはないのだろうか。彼等はあたかも、喜怒哀楽の神経を遮断した非人情の世界に生きているようにみえる。
一方、コロナ禍にいる私たちは、テレビもSNSも遮断された部屋に独りでいると、寂しさに耐え兼ね街中へ出かけようとする。そして公園、デパート、駅など人の集まるところに人気がないと、なんとなく不安を感じてしまう。私たちはいつも、どこかで人と繋がっていたいのだ。
夜間人気のない山道を走っていたら、すぐ後ろに後続車が迫ったのだが、そのまま伴走を始め、抜き去ろうとしない。 客のいないレストランに1人で座っていると、後から来た客が自分とさほど離れてない席に座った。その後の客も、つかず離れずという席に陣取った。自分も同じことをやりそうで、おもわず苦笑してしまった。
どうも私たちはそばに誰かがいないと落ち着かない習性があるらしい。一生誰とも話さず生きている蝶は、大したやつだと妙に感心してしまった。