四季雑感/SIKI

土佐の「坊ちゃん」

土佐の「坊ちゃん」

土佐の「坊ちゃん」

50年前、医者になって1年間大学病院で研修を受けたのち、上司から2年ほど、地方の病院で修業してくるように言われた。
赴任先は土佐にある人口2万の小さな町だ。新築されたばかりのこじんまりした病院である。勤務医は10人ほどで、内科以外は各科とも医師ひとりという陣容だ。あとで分かったことだが、若いのは自分ひとりで、全員一回りも二回りも年配だから、院内の空気はいかにも悠然としている。

赴任してまもなく、医局(医師の仕事兼休憩室)で雑談していると、突然電話口で怒鳴る声がして、ガシャンと電話を切っている人がいる。何事かとおもったが、周りの人はふっと笑って、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいる。

このひとは婦人科のK先生だそうで、病棟に電話して5回鳴るまでに看護婦が受話器をとらないと、「人を待たせておいて一体何やってんだ」と怒鳴って、いったん受話器を置くのだそうだ。そのあと看護婦が、「先ほどは失礼しました。どういうご用件でしょうか?」とあらためて電話を掛け直さないと気が済まないらしい。さらにその折り返し電話が遅いと、もう一度電話して「遅いじゃないか」と催促して電話を切るという。
どうも彼は、看護婦を自分の手下だと思っていて、主人への反逆行為と捉えているようだ。

このひとは自分よりも一回りも上のようだから、不惑の人に違いない。それなら、病棟には病棟の事情があるくらいわかりそうなものだ。すぐに受話器を取らないぐらいで、あれほど腹を立てるなんて、よほど短気な男だ。

ところが、その後しばらくして、彼が婦人科の看護婦たちから慕われていると聞いて驚いた。
見ていると、たしかに仕事には忠実で、具合の悪い患者がいると時間を過ぎても診療しているし、深夜のお産にも黙々と従事している。おそらくこの辺が看護婦たちに支持されるのだろう。
軽々しくひとを評価すべきではないと思った。

その後K先生を見ていると、些細なことにすぐカッとなるのだが、相手が素直に謝ると、途端に相好を崩す。それは見ているほうが恥ずかしくなるほどだ。裏がないというか、子供っぽいというか、本当に分かりやすいひとだ。

普段の先生は角刈り頭のこざっぱりした身なりで、せわしなく院内を行き来している。
聞くところによると、若い時は上司にも歯に衣着せぬ物言いで、煙たがられたらしい。だからこんな田舎の病院に飛ばされたんだと、周りは噂している。歳をとるにつれ、無茶な言動は減ったらしいが、院長などは廊下で偶然鉢合わせると、目を伏せて通り過ぎるのだそうだ。

自分もなんとなく彼に近づかないようにしていたが、次第に仕事上、話さないわけにはいかなくなった。
聞いていた通り、竹を割ったように真っすぐな性格で、言いにくいことでも、はっきりものを言う。そこは少しも変わっていないようだ。だからというべきか、断じて嘘などつかぬと顔に書いてある。

そこまではいいのだが、いったん言いだしたら後へ引かないうえに、その場ですぐ結論が出ないと足を小刻みに震わせるものだから、相手は余計落ち着かない。どんなに不利に見えても、自分のほうが正しいと信じてやまないようだ。
どこか漱石の「坊ちゃん」に似ている。

こういう人は反省するということがあるんだろうか。ふとそんな気がしたが、細かいことさえ気にしなければ、存外仲良くなれそうに思った。
それどころか、今までの自分は、鳥もちみたいにねばねばした世界に棲息していたから、このひとの淡泊で白黒はっきりもの言う魅力に、すっかり引き込まれてしまった。それを察してか、向こうも好感を持ったようだ。
先生が年の差を気にしないこともあって、その後、我々はすっかり気の許せる仲となった。

赴任して半年たったころ、病院職員のあいだで四国88か所霊場巡りをしようという計画が持ち上がった。土日を利用して2,3か所づつ廻ろうというのである。どういう人選か知らないが、自分も職員から声を掛けられ、参加することにした。88か所のどこにも行ったことがなかったからだ。意外にも、K先生が参加されるという。
当日、20人あまりが車5,6台に分乗し、まずは厄落としで有名な徳島の薬王寺をめざすことになった。誰かがK先生はどうも厄年らしいとささやいている。

K先生が張り切って先導役を務めるというので、我々は後に続いて出発した。しかしスピード狂の噂通り、先生はどんどん速度を上げ、すぐに見えなくなった。しばらくして県境付近でやっと追いついたと思ったら、先生がパトカーに捕まっている。近づいてみると、さすがにスピードを出しすぎたと思ったのか、神妙にしている。

そう思って見ていたら、だしぬけに先生が「僕は急いでるんだ。みんなを待たせているんだから、愚図愚図せずにさっさとしてくれよ。」と数人の警察官に向って語気を荒げている。まるで檄を飛ばしているようで、一同黙ってしまった。

しばらくして、再出発となった。しかし、まるで先生に反省の色は見えない。さっきと同じスピードで走り出した。無駄に時間を費やされ、いきり立っているようにみえる。
みるみる間にK先生の車は見えなくなった。

徳島県に入り30分ほどしてやっと追いついたと思ったら、またもや先生がパトカーに捕まり、尋問を受けている。
心配になって、みんなでそばに行ってみると、どうも注意されているのではない。K先生のほうが警察官たちを叱咤している。

「君たちは僕を誰だと思ってるんだ。日頃、君たち警察官の奥さんのお産を、昼夜を厭わずしてあげているんだぞ。しかもだ。僕はついさっきも捕まったばかりなんだ。いったい何回捕まえれば気が済むんだ。いい加減にしろ。」
警察官たちは余りの勢いに言葉を失っているようだ。

さらに先生は畳みかけるように、「俺は曲がったことが嫌いなんだ。60キロ以上出すなと言うなら、アクセル踏んでも60キロしか出ない車をつくればいいんだ。造っておいて、アクセルを踏むなと言うは、そちらが悪いに決まっているじゃないか」。

居合わせたものは皆、唖然としている。本人はどこまで正論を言っているつもりなんだか、どうみても理屈になっていない。警察官もうんざりした顔で、だんまりを決め込んでいる。
仲間の誰かが間に割って入り、仲裁の労をとってなんとか落ち着いた。あれほど言いたいことを言って、違反はなかったことにしろなんて、どうみても無茶だよねといいながら、薬王寺に着いた。

K先生はケロッとして、すっかりお遍路さんの気分になっている。驚くほど、頭の切り替えが早い。同行者一同、ひと安心して、お賽銭を用意した。

その後、K先生は多くの逸話を病院に残したあと、自分の地元で産婦人科を開業した。
伝え聞くところによると、あれほど傍若無人(?)に振舞っていた先生が、開業と同時に、すっかり大人しくなったという。いつも賢夫人がそばに付き添っているせいだという話しであった。

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