明治

江戸時代

明神の秀吉、権現の家康

538年、仏教が日本に入ってきたときから、神の子孫とされる天皇家では、自身の神と仏のとり扱いに頭を悩ませてきた。 奈良時代のはじめ、聖武天皇は仏教に帰依し、東大寺に大仏を造って人心を掌握しようと目論んだ。 ところが、神の子孫である天皇が仏を...
日本人の宗教心

唯識

かつて南都北嶺といって、その威風は朝廷から一目置かれるほどであった。 南都は奈良、といっても興福寺、北嶺は比叡山延暦寺を意味し、ともに平安時代、寺院でありながら圧倒的な存在感を示した。 なぜ寺が、と言われそうだが、じつはともに巨大な荘園領主...
明治

山本権兵衛、東郷平八郎を後継指名

山本権兵衛の面構えは尋常でない。生来気性が激しく、青年時代から敵を射すくめるような鋭い視線に、相手は思わずたじろぐほどで、幾星霜を経てもその眼光に翳りはない。 信念を曲げず、口にしたことには責任をもち、潔いこと、終生変わらなかった。薩摩武士...
明治

山陽線 鉄道敷設秘話

「青年時代の失敗体験は、将来の成功の尺度となる。すなわち、失敗をどう思ったか、いかに対処したかで彼の生涯は決まる。」 そう言ったのは、普墺・普仏戦争を制し、「ドイツ陸軍の父」といわれる参謀総長モルトケである。モルトケは当時の先端技術「鉄道」...
江戸時代

松坂屋と竹中工務店の絆

名古屋の「いとう屋」といえば、のちの「松坂屋」としてつとに名高いが、江戸時代には尾張藩御用達商人として藩財政に関わり、明治維新後は公金を取り扱い、伊藤銀行、東海銀行を経て、現在の「三菱UFJ銀行」に至っている。 もともとは、信長の小姓であっ...
戦国時代

細川幽斎の処世術

戦国期における細川幽斎の名は、戦国武将のあいだに特別な響きがあったとおもわれる。 剣術、弓術の達人であるばかりか、和歌・茶道・連歌に精通し、鯉料理の達人にして囲碁や猿楽にも造詣が深い、人もうらやむ風流人である。 幽斎は足利家一族の出身であり...
幕末

アーネスト・サトウの見た日本

慶応2年(1866年)、横浜で発行されていた、週間英字新聞「ジャパン・タイムズ」に匿名で掲載されたある論説が、徳島藩士・沼田寅三郎によって翻訳され、「英国策論」と題して出版された。 日本が国際社会に登場するためには、今の幕藩体制ではだめで、...
日本人の宗教心

神をとるか仏をとるか

もともと我が国の神は自然崇拝から発したもので、八百万の神々が山川草木至る所、家のなかにもおられるという。 古代人は神のおはしますところを掃き清めて祈りを捧げ、感謝や心の救済を願っていたとおもわれる。 ところが7世紀にいたり、アマテラスを押し...
幕末

長州 暴発す

明治維新に先立つこと5年、文久3年(1863年)の長州は大変である。 前年には英国公使館に火をつけて大騒ぎをおこしたが、この年の5月には長州沖にいる外国船を突然砲撃し、こともあろうに長州一国で欧米4か国(米英仏蘭)を敵にまわした。 力でもっ...
江戸時代

井伊の赤備え

井伊直政と赤備え軍団 武田の猛将、山県昌景が赤備えで天下に名をはせたが、武田家滅亡のあと、家康は武田家旧臣を多数召し抱えた。かつて家康自身、三方ヶ原で完膚なきまでに打ちのめされた思い出がある。その象徴ともいうべき赤備え軍団を手中にしたかった...
戦国時代

太閤はんの大阪城

その昔、大阪の地は海のなかにあった。そのなかで南北に丘陵をなす上町台地だけが、半島のごとく海に突き出ていた。台地が盛り上がったのは、豊中から岸和田に至る断層の動きによる。 上町台地の東側にある河内湾と西側の大阪湾には、長い年月を経て、淀川・...
明治

大久保利通の東京遷都

慶応3年、徳川慶喜は大政奉還という奇手をうって、薩長の出鼻をくじいた。 倒幕の密勅を得て意気盛んな大久保、西郷は、猫だましを食らったように腰が砕け、武力行使ができなくなった。 欧米列強がわが国を虎視眈々と狙っている今、大久保は焦燥の念に駆ら...
四季雑感

士農工商の記憶

近年、明治という言葉を聞くことも少なくなったが、亡父はかろうじてその明治末年の生まれである。本人は格別それを誇りにしていた。 一方、母親は戦時下、女学校に勤務していたある日、喜々として帰宅した父親から、「結婚が決まったぞ」と告げられた。当時...
幕末

尊王攘夷

江戸時代、庶民にとって仰ぎ見るのは徳川将軍家であって、京にいる天皇ではない。 この時期、幕府には800万石の収入がありながら、朝廷は幕府からわずか3万石を付与されるだけで、生きながらえている状況である。天皇は京都御所で息をひそめており、庶民...
四季雑感

土地は誰のものか

加賀120万石、伊達62万石という。 一石はひとりが一年間に食べる米の量に相当するから、これに年貢率をかけると、どれほどの戦闘員を養えるかが計算できる。 つまり石高は大名の財力だけでなく、保有する戦闘能力を誇示するものであった。 江戸時代の...
明治

明治維新誕生の不思議

明治維新というクーデターが、頂点に明確な統率者をいだかないまま行われたというのは、どうにも奇妙な現象というほかない。 革命勢力の中心となった薩長の藩主、島津久光、毛利敬親はともに郷里にいて、部下のものから戦況を聞くだけである。 実働している...
平安時代

藤原氏はどこへ行ったか?

藤原氏は大化の改新の立役者である中臣鎌足を始祖とする。 もともと中臣氏は代々、神事・祭祀を司る宮廷貴族であった。 中臣鎌足は死に望んで天智天皇より藤原姓を賜り、息子の不比等からは中臣氏でなく藤原氏を名乗るようになった。 ちなみに藤原の名は鎌...
昭和

エコロジーの提唱者・南方熊楠(みなかたくまぐす)

南方熊楠は、我が国でエコロジーを初めて唱えた人である。 エコロジーとは人間と自然とが共存していこうとする考え方で、「地球にやさしい生活」とか、「環境にやさしい生活」と言い換えることができる。 明治政府は国家神道の権威を高める為、神社合祀令を...
鎌倉時代

本願寺物語

もともと本願寺はお寺でなく、廟堂である。 1262年、親鸞は亡くなったあと、「大谷」の地に納骨され、のちに信徒が参詣するための廟堂が建てられて「大谷廟堂」と尊称された。 廟堂は親鸞の末娘・覚信尼の子孫が代々世襲、管理するようになり、3代あと...
日本人の宗教心

儒教精神

突然、君は儒教の教えに従って生きているかと問われたら、とんでもないと答えるだろう。 そんなことは考えたこともないというだろうが、親孝行をしなければとか、弱いものには思いやりをもって接するとか、嘘はつかないとか、目上のひとには礼儀正しく接する...
日本人の宗教心

妙法蓮華経

法華経が大乗仏教の代表的経典として、紀元2~3世紀に登場したことは先に触れた。 法華経は妙法蓮華経の略で、妙法は真実の法の意である。 蓮華は蓮の花であり、泥の中から美しい花を咲かせる姿に、仏教者は己の生き方を感じ取ったのである。 泥は欲望や...
四季雑感

自殺のはなし

このところ毎年、自殺する人の数が約3万人とほぼ横ばいだという。 自殺未遂者はさらにその10倍以上という。 ともかく10年間、だれが決めたわけでもないのに毎年3万人ずつ自殺するというのだから、奇妙だと思わないわけにいかない。 文献によれば、若...
幕末

勝海舟の見識

勝が西郷隆盛と初めて会ったのは元治元年(1864年)9月、大阪である。 西郷は第1次長州征伐で幕府の消極的な戦闘準備を不満とし、軍艦奉行である勝の意見を求めに来た。 このとき勝は、今は自分の藩の利害などを考え内部抗争しているときではない。 ...
幕末

竜馬と象二郎

慶応3年の土佐藩はとりわけ多忙である。 その年の1月、後藤象二郎が長崎にやって来たのを知った亀山社中の面々は、竜馬に土佐勤王党の仇敵である彼を斬ろうと気色ばんだ。 ところが実際竜馬が会ってみると、意外にも馬が合った。 仇敵でありながら意気投...
幕末

“そうせい侯” 毛利敬親(たかちか)

米国との通商条約を朝廷の許可を得ずに結ぶとは何事かというのが水戸・尾張・越前藩主ら一橋派の抗議である。 安政5年4月、大老となった井伊直弼は、話しの内容はともかく彼らが許しも得ずに登城したのは不敬の至りであるとして、強引にも彼ら全員を隠居、...
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