RELIGIOUS-SPIRIT

日本人の宗教心

大陸から離れ、孤島に育まれた独特の宗教心を採り上げます。

妙好人

日本人について

日本人の宗教心

妙好人

医師になって2年目で、まったく頼りない医者だった頃のはなしである。当時、大学の医局の指示で、地方の県病院に赴任したばかりだった。 初夏の頃、家族に付き添われて80すぎの老婦人が来院した。聞くと、40度の高熱がひと月以上続いているという。 熱...
旅のスケッチ

高野山 奥の院(5)

惜春や 云わぬが花と 佇めり
旅のスケッチ

高野山 奥の院(4)

石塔に 未練の失せて 長閑なり
旅のスケッチ

高野山 奥の院(3)

ものいわぬ 墓石苔むす ひそか雨
旅のスケッチ

高野山 奥の院(2)

老杉の 春を吸い込む 奥の院
旅のスケッチ

高野山 奥の院(1)

鐘の声 気もそぞろなり 春の雨
江戸時代

アダムスと家康のこと

1600年の春、ウイリアム・アダムスが5大老の筆頭・家康の前に引き立てられたとき、尋問の次第によっては、海外追放か、悪くすると処刑かもしれぬと覚悟したに違いない。 大分の臼杵に漂着したオランダ船の乗組員22名のうち、自力で歩けるものは数名で...
戦国時代

正親町(おおぎまち)天皇のこと

頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、我が国の国土は朝廷と鎌倉幕府で二分され、鎌倉の勢力が徐々に凌駕する勢いにあった。 これに反発する後鳥羽上皇は、天下の宝刀「院宣」を発すれば全国の武士はこぞって京へ参集するものと考えた。そこで、意を決して鎌倉に挑...
日本人気質

方外のひとびと

江戸時代になって、なお剃髪(ていはつ)し頭を丸めていたのは、大半が僧侶である。 そもそも僧侶が頭を丸めねばならなくなったのは、釈迦が始めたからである。 その昔、釈迦は解脱にあたって、頭を丸めた。弟子たちもそれに準じたので、以後、仏教界では俗...
医学史ひとこま

傷ついた兵士は、兵士でなく人間である

1859年のイタリア統一戦争のさなか、スイス人実業家アンリ・デュナンは偶然、激戦地のそばを通りかかった。そして4万人もの死傷者が打ち捨てられている光景に愕然とし、町の人々と協力し、放置された負傷者を教会に収容するなど懸命の救援活動を行った。...
日本人風雅考

芸は身を助く

はて、芸は卑賎のものか 古来、儒教国の中国、朝鮮においては、芸事は卑しいものとされ、決して士大夫(高級官僚)が手を出すものではない。士大夫たるものは何もしないのがよい。身を弄することは下賤のものにさせるのをよしとする文化がある。 これに対し...
医学史ひとこま

シーボルトの娘イネと荻原吟子

イネはシーボルトと遊女・瀧の間に生まれた私生児で、当時鎖国の日本では見かけない異人の顔をしている。 すでにシーボルトは、長崎出島のオランダ商館医として5年間、日本に滞在していた。 ところが1828年、彼は日本地図の持ち出しという科で国外追放...
日本人気質

呑気といわれる日本人

占領されていた日本 我が国は、一度たりとも外国に乗っ取られたことなどないという人もいるが、残念ながら自分が生まれた頃、日本は外国に占領されていた。太平洋戦争の終了からサンフランシスコ講和条約締結までの7年間、米英連合軍が我が国を統治した。 ...
日本人気質

マスコミの矜恃

成功体験をしたものは、その経験を忘れることができない。一概に悪いこととは言えないが、他を犠牲にして得た成功体験は、はやく忘れるべきであった。 日清、日露戦を制した我が国の軍部は、国民の狂騒をよそに、今後の身の振りかたに悩んでいた。 確かに今...
日本人風雅考

村田珠光の求めた「不足の美」

若いころの珠光は諸国を放浪する僧侶で、縁あって連歌師で画家の能阿弥と親交をもった。おかげで連歌の会にも足繫く通い、多くの歌詠みに知己を得た。 連歌は単に歌を詠むだけではない。その場では香も焚かれ、花も生けられ、茶の湯もおこなわれていたらしい...
医学史ひとこま

細菌学の祖 北里柴三郎

明治25年、内務省衛生局長だった長与専斉が大阪適塾の先輩だった福沢諭吉を訪ねてきた。幕末の動乱期、ともに適塾の塾頭を務めた俊才である。 長与によれば、日本の感染症研究にとって欠くことのできない人材が失われようとしているという。その男の名は北...
医学史ひとこま

100年前のコロリと現代のコロナ 長与専斉(ながよせんさい)奮闘記

「自助」は自分の命は自分で守る。「共助」は町内会程度の地域コミュニティで協力する。「公助」は国や自治体が主導して災害問題に対処することです。 この三助の精神は、江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の「三助の実践」に由来します。 鷹山は三助の実践に基...
日本人風雅考

芭蕉と子規

芭蕉の肖像画をみると随分高齢にみえるが、じつは50歳で亡くなっている。 貞享2年(1685年)春、8ヶ月にわたる『野ざらし紀行』の旅から江戸に戻った芭蕉(当時40歳)は、翌年の春を深川の庵で迎えた。 久しぶりの自宅で春の訪れを感じ、4月の陽...
日本人気質

忖度する日本人

オリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言が物議を醸しだし、連日、国民からノーを突き付けられた結果、やっとご本人が辞意を表明し、嵐は終息した。 「日本は天皇を中心としている神の国である」、「大阪は痰ツボ。金儲けだけを考えて、公共心...
日本人の宗教心

酩酊にもいろいろ

酩酊は必ずしもアルコールによるとはいえない。 われわれは思想にも酔う。それはしばしば信仰という形をとる。 ところで、終日ぬるま湯につかった生活をしていると、頭も冬眠するがごとくなる。物思う必要に迫られないからで、それはそれで幸運といえるかも...
日本人気質

無常観から無常感へ

若いころ、長年修業を積んだという僧から、この世の根源には無常観が存在すると聞かされ、妙に納得した思い出がある。 その昔、釈迦は悟りを開いたとき、仏教を特徴づける四つの真理を明らかにした。 諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦のことで、これ...
江戸時代

明神の秀吉、権現の家康

538年、仏教が日本に入ってきたときから、神の子孫とされる天皇家では、自身の神と仏のとり扱いに頭を悩ませてきた。 奈良時代のはじめ、聖武天皇は仏教に帰依し、東大寺に大仏を造って人心を掌握しようと目論んだ。 ところが、神の子孫である天皇が仏を...
日本人の宗教心

東大寺二月堂に集うひとびと

毎年、 3月 1日になると東大寺二月堂の「お水取り」が、ひとびとに春の到来を告げる。 もともとこの法会は、修二会(旧暦二月に修する法会)と呼ばれ、選ばれた練行衆と呼ばれる 11名の僧によって、旧暦の 2月(新暦では 3月 1日)より 14日...
興味深い日本人

子規の覚悟

「食べないと死んでしまうよ」と言って、死期の迫った人へ無理に食べさせようとする光景を散見するが、内科学の大家ハリソン先生の指摘されるごとく、「ひとは食べないから死ぬのではなく、死が迫ったから食べないのだ」というのが真相だろう。 子規の食欲 ...
興味深い日本人

富永仲基の仏教観

法華経も阿弥陀経も釈迦の仏教でなく、後世の人の作だといったのは、大阪の町人・富永仲基(なかもと)である。 彼の棲んだ江戸時代、幕府が容認している仏教に対して、釈迦が始めたものではないと声を出すのは、身の危険を覚悟の上である。しかも当時のよう...
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