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無常観から無常感へ

無常観から無常感へ

無常観から無常感へ

若いころ、長年修業を積んだという僧から、この世の根源には無常観が存在すると聞かされ、妙に納得した思い出がある。

その昔、釈迦は悟りを開いたとき、仏教を特徴づける四つの真理を明らかにした。

諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦のことで、これを四法印と呼んだ。

「諸行無常」は、あらゆるものは留まることなく変化している。

「諸法無我」は、この世に実体のあるものはなく、あらゆるものは、互いに影響しあいながら存在している。

「涅槃寂静」は、執着を捨て煩悩を消し去れば安らぎの境地に達する。

「一切皆苦」は、なにごとも自分の思いどおりにはならない。

理屈だけなら、さして理解できぬ話しではない。しかし知ることと、それを実践することは全く違う。

釈迦が仏教を説くにあたって目指したのは、「人々の心を浄める」ことであって、そのために「煩悩を捨てよ」と箴言した。

無常観から無常感へ

この仏教観の第一ともいえる「諸行無常」は、あらゆるものは変わり続け、生あるものは必ず死ぬという哲理であり、この事実をしっかり受け容れたときに、湧き上がってくる深い感動を「仏教的無常観」と呼んだ。

その後、「諸行無常」は中国をへて我が国に伝わり、人々の心に浅く広く浸透した。

こうして奈良時代には、万葉集などの和歌が詠まれるようになり、平安に入ると、清少納言、紫式部など宮中の女官を中心に、随筆や小説も書かれるようになった。

彼女たちは宮廷生活のなかから、「はかなきもの」の美しさを描き出した。後年、本居宣長に「もののあわれ」といわせたこの美意識には、根底に仏教的無常観が横たわっているように思われる。

しかし貴族から武士の世になると、長びく抗争で人心はすさんでしまった。世の中には末法思想が広がり、庶民は無気力となり、虚無感が蔓延した。

その結果、仏教的無常観は徐々に姿を変え、「悲しみ」や「はかなさ」を多量に含んだ「無常感」となった。

そして文学面でも、人生の無常をテーマにした作品が数多くつくられた。

たとえば隠遁者・西行の気品ある和歌(山家集、新古今和歌集)の底流には、漂泊の身の哀愁が横たわっているように感じられるし、「祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語では、運命に抗いつつ如何ともし難い、平氏の言い知れぬ悲哀が切々と語られている。

また、「ゆく河の流れは絶えずして」で始まる鴨長明の方丈記には、達観したなかにも、かなわなかった栄達の夢への嘆きを感じ取れる。

その後も、室町期には連歌(宗祇ら)、能・狂言(世阿弥ら)が、江戸期には俳諧(芭蕉ら)、浄瑠璃(近松門左衛門ら)、歌舞伎(坂田藤十郎)が登場し、「無常感」をテーマにした作品が次々と生み出された。

自然の移ろいと無常感

それにしても、日本人は古来、なぜこうも哀愁を帯びた「はかなさ」を好むのであろうか。

海外に出かけて初めて気付くのだが、我が国は四季の移り変わりがはっきりしており、俳句に春、山笑う、夏、山滴るといい、秋、山粧う、冬、山眠るという。

その自然のなかに身を置いてみると、季節ごとの花鳥風月の美しさに改めて気付く。他の国々では、必ずしもそうはなっていない。

しかも、我が国は大陸から隔絶した小さな孤島であり、ほとんど山国といってよい。人の住める場所は僅かである。そのうえ、頻繁に台風や地震に見舞われ、自然の猛威の前になすすべがない。

こういう風土には、ラテンアメリカのような燃え上がる情熱や激しい踊りは生れにくい。我が国の先人は、この目まぐるしい気象変化のなかに「無常感」を感じ取り、人の世のはかなさを重ね合わせて、詩歌や舞いに思いを託したのである。

その昔、奈良時代には花といえば梅を指したが、平安期、遣唐使廃止のころより桜が珍重されるようになった。一斉に花開き、瞬く間に散っていく。満開の見事さと突如として消えていくはかなさに、古人はおのが人生を重ね合わせ、無常感に浸った。

江戸時代、本居宣長も「やまとごころ」とは、朝日に匂う山桜に感動する心であるといい、山桜の力強く華やかな美しさとともに、はかなさ、悲しみを湛えた姿に日本人のあるべき姿をみたのであろう。

また、秋はもみじ葉という。しかし奈良に都があったころ、秋といえばイチョウや稲穂の黄が愛でられ、黄葉が「こうよう」と呼ばれた。平安期になると、モミジの赤が秋を代表するようになり、「こうよう」は紅葉に置き換わった。

万葉集以来、和歌に黄葉、紅葉がしばしば登場するのは、その美しさ故だけではない。日に日に紅葉していく様を「心変わり」と捉えた、そのため息が、しばしば無常感となって綴られている。

もののふの無常感

無常感は庶民だけでなく、武士階級の胸のなかにも浸透した。

鎌倉以来、戦国までの400年は、飽くことなき殺戮が日常である。いかなる手段を講じても勝ちをおさめねば、こちらがやられる。さらし首を眺めながら、世の無常を嘆いた者は少なくなかったであろう。

武士の世が終焉を迎えたとき、それを先導した西郷隆盛は忸怩たる思いであった。多くの血を流して得た明治維新で、四民平等にはなったものの、にわか仕立ての官吏たちの目に余る横暴に失望する。こんなはずではなかったと、うつに陥り、郷里鹿児島に隠遁してしまった。

そしてついに、武士の矜持を保たんがため、勝ち目のない戦に身を投じた。

西郷が反政府運動の主犯でありながら、今なお国民の多くに敬慕されるのは、彼の心底を流れる無常感が人々の心を打つからであろう。

こうして我が国の先人たちは、日々の暮らしのなかで、折に触れ無常感に浸りながら、過ごしてきたのである。

それはコロナ禍の今日でもなお、変わることはない。

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