かつて平安時代の代表文学『源氏物語』に流れる、しみじみと哀愁を湛えた情趣を、本居宣長は“もののあはれ”と呼んだ。不幸な終局を迎えるドラマを見終わったあとの「ああ」という嘆息である。
現在、われわれは“もののあはれ”を口にはしないが、この気分はおおいに受け継いでいるといえよう。
また、平安末期、藤原俊成、定家親子により、目には見えずとも裡に隠された奥床しい趣を“幽玄”と呼ぶようになった。
美しい花を見て、眼前の姿だけでなく、風雪に耐えてきた過去や、はかなく散っていく未来を想像し、しみじみとした気分に浸るというものである。
世阿弥
室町期、能楽の大成者・世阿弥は、少年が大人に変わっていく直前の危うい美しさに幽玄を見た。新芽が吹き出る瞬間にはっとする美しさを感じたのである。
また連歌の世界においても、二条良基や心敬が「こころの艶」こそ幽玄に不可欠であるとし、「詞(ことば)には、いはれぬものなり」とした。
そしてその美しさが時間とともに失われていく時間の流れに“侘び”を感じた。
さらに、美しさが失われる直前のはかない美に“寂び”をしみじみ感じたのである。一抹の侘びしさ、一抹の寂しさである。
吉田兼好、鴨長明
鎌倉時代の僧侶、吉田兼好も
と独白した。
同時代の鴨長明は
といい、『平家物語』は冒頭に
といって、無常感を詠った。
そしてついに“侘び”は茶道の大成者・千利休によって、あらゆる飾りを捨て去り枯淡の美となった。そしてそれは、そのまま彼の信念となり、時の権力者をも否定することになる。
さらに世を経て、世俗を離れ孤高の旅人となった芭蕉により、“寂び”もまた諸行無常の世にあって、孤絶の美となった。
こうしてみると、どうも日本人は、美に対して感傷的になりやすく、かすかなもの、もの足りないものにとりわけ執着するくせがあるようだ。しかもそれを、しみじみ独り味わうのが好きらしい。