学生時代は年中、金欠状態だった。はたちを過ぎたのに金銭感覚が乏しく、人並みに仕送りはあるのだが、目の前の欲しいものについつい手が出てしまって、すぐに食い詰めるという具合だった。
そのうち、子供の頃かじったピアノにふと興味が沸き、他大学の音楽科の友人の紹介で、時間を限って大学のピアノを使わせてもらっていたが、関係者の目が気になり落ち着いて弾けない。そこで、安い中古のピアノを物色し始めた。
すると偶然店頭で、通常の半分ほどの小さな中古ピアノを見つけた。50年以上も前だから、電気ピアノなどない時代である。これなら4畳半の下宿にでも置ける。
懐具合も考えず、20回の分割払いでいいというので飛びついてしまった。なんとかなるだろうと気楽に考えていたのだが、いざ支払い始めると、予想外に生活を切り詰めないといけない。
やむなく食費を切り詰めようと、昼食を抜くことにした。すると半年もたったころ、友人のHから耳寄りな話しが舞い込んだ。
土曜の午後、自分と一緒に出掛けないかと言う。聞くところによると、黙って坐っているだけで、お茶とお菓子が無料で食べられるのだという。ご馳走してもらう代わりに、なにかしないといけないのではと、念を押したが、決してそんなことはないという。そんなうまい話しがあるだろうかと不審に思いながら、念のため友人のAも誘って出かけることにした。
行った先は、瀟洒な数寄屋建築の邸宅で、広い庭に池を配置し、鯉を泳がせている。
友人Hの先導で玄関を上がり、10畳もある日本間に通された。なんと着飾った中年女性が10人以上、壁を背にして行儀よく正坐している。部屋の片隅では、お茶をたてている人がいる。初めて見る茶席だった。
Hは大学茶道部の部員で、この場所を借りて一般の人達と一緒にお茶の練習をしているという。よくみると、茶道部員らしき男女も数名散見される。あとで分かったことだが、ここは大学学長の邸宅で、お茶の師匠は学長夫人であった。
なんの心準備もしていないため、自分はともかく、A君などはサンダルに素足のままである。場違いなところに通されて、我々二人はどうも居心地が悪い。一同、変なのが迷いこんだと思いつつも、気づかぬふりをして、平然とお茶とお菓子を食べている。ひそひそ小声で話はしているが、着物姿が多いせいか、どこか華やいだ雰囲気である。
見ていると、ただ茶碗を手に取って、ゴクンとやるだけではない。左手に茶碗を受けた後、右手で三度ほど手前に引いてゴクンとやり、飲み口を拭いたふりをして元に戻している。その程度の所作ならなんとかできる。そのうち自分たちにもお茶とお菓子が振舞われた。
空腹なので、お代わりしたいと思ったが、言える雰囲気ではなかった。それより、足がしびれてこれ以上座り続けると立ち上がれないと思った。30分ほどで友人Hに目配せをし、早々に退出させてもらった。
Aはもうこりごりと言ったが、自分はお茶とお菓子の誘惑から抜けきれず、H君と再度出かけるようになった。なにしろ、週1回は昼飯にありつけるのである。
こんなひもじい思いをして入手したのに、ピアノの腕はさっぱり上がらなかった。他の下宿人への迷惑を考えると、容易にピアノなど弾けないということすら、当時は思い至らなかった。また同級生に、ベートーベンからリストまで弾きこなす男がいて、己の能力にほとほと愛想を尽かしたともいえる。
一方、常日頃、お茶など男のするものでないだろうと公言していた手前、土曜日、茶席に出かけるのには後ろめたいものがあった。しかしどうにも空腹を満たしてくれる誘惑には勝てなかった。
こうしてなし崩し的に、自分は茶道部員に組み込まれてしまった。
こんな具合だから、卒業と同時に茶道の世界とはすっかり手が切れてしまった。
まじめな茶道部のかたがたには、まことに申し訳なかったと反省している。