自分は毎日写真を撮っているから、写真家の端くれと言えないこともないが、本当は胃腸の中を撮影するのが仕事である。じつは子供の頃から絵を描くのが大の苦手だったが、写真ならシャッターを押すだけで、絵の上手い連中と同じように撮れるので、大いに気をよくしたものだった。
そんなことから、大学時代、遊び心で写真部に入った。ところが先輩に催促され、自作の写真を見せた途端、失笑された。
「こりゃなんだ。まるで記念写真じゃないか。一体、君はこの写真で何を言いたいんだ。これを言わずにはおれないという意図がまるで感じられないじゃないか」
彼に言わせると、私の写真は「ああきれい」といっただけで、あとに何も残らないという。焦点も主張点も感じられないという。当然だろう、そんな気持ちで撮ったことは一度もないのだから。
同好会気分で楽しくやろうと思っていた自分は、その発言に愕然とした。どうにも反論の余地はない。
写真部で洗脳される
「まず、色を消したまえ。白黒にすると、まわりの不要なものが消されて、主題にだけ目が集まるようになる。人にしても、ものにしても、君が表現したいものを全面に出したければ、なんといっても白黒だよ」。
そう言われて見直すと、自分の写真は実にみすぼらしく見える。ショックをうけた自分は、早速白黒フィルムを購入し、土日を利用しては、戸外に出て写真を撮り始めた。主題とか主張点とかが頭にずっしりのしかかっていた。
撮った写真はその夜暗室で現像し、印画紙に焼き付けるである。失敗作が多かったが、ときに思いもよらぬ出来栄えの作品が生まれて、有頂天になった。こうして日曜の夜は、大学構内にある写真部の現像室に入り浸ることとなった。
夏休みには、10数名の部員全員で野山や郊外に繰り出し、厳しい自然の中で力強く生きる人々の姿や山川草木の躍動する姿を捉えようと活動した。いっぱしの写真家気どりだった。しかし、社会人になると同時にモノクロ写真をとる機会はなくなり、自分の些細な芸術活動は終了した。
内視鏡医の道へ
ところが数年後、内視鏡医となり胃の中を撮影するようになって、再び写真に対する興味が沸々と湧いてきた。
指導してもらった先生から「小さな病変を見つけようとすれば、胃の表面を舐めるように凝視しないといけない」と教示された。さらに「見つけただけではいけない。それが良性か悪性か、病変の範囲はどうか、悪性なら傷の深さはどうか、3次元的に角度を変え、空気の注入量を変え、他の医師がみても判断できる写真をとるように」と言われた。
言われたように撮影していると、意外にも、学生時代教わった撮影技術がそのまま応用できることに気が付いた。撮影のポイントというのは、根っこの部分では同じなんだとうれしくなった。遊び心でやっていたことが、仕事に活かせるようになろうとは思ってもみなかったからである。
好きなことをやっていると、疲れにくいという。
同郷の故白川義員氏のような山岳写真家を見ていると、たとえ過酷な条件下でも情熱に突き動かされ、撮らずにはおれないという強い意志を感じる。80を過ぎても、カメラを持つと、恐らく疲れなど感じていなかったのではないか。
それに比べれば自分など、年中室温の調節された部屋で、ほとんどエネルギーを使わない仕事だから、疲れたなどと口にするのもおこがましい。まして好きなことをやって過ごしているのだから、もって瞑すべしであろう。