SIKI

四季雑感

四季折々、思いつくままに書いてみました。

土佐の「坊ちゃん」

四季雑感

四季雑感

土佐の「坊ちゃん」

50年前、医者になって1年間大学病院で研修を受けたのち、上司から2年ほど、地方の病院で修業してくるように言われた。赴任先は土佐にある人口2万の小さな町だ。新築されたばかりのこじんまりした病院である。勤務医は10人ほどで、内科以外は各科とも医...
四季雑感

死を受け容れるひとたち

医師から癌と告げられるのは誰だって怖い。テレビで「3人寄ればひとりは癌で倒れる時代だ」というのを聞くと、心配で居ても立ってもおれないというひとがいる。こういうかたは人に言われなくても、早め早めに検診をうける傾向にある。気苦労は多いだろうが、...
四季雑感

ひとの性(さが)は如何ともし難し

昭和30年頃のはなしである。亡母の里は市の郊外にある農家で、松の植わった庭の一部が家の縁側に接している。別に玄関はあるのだが、縁側からだとすぐ居間に上がれるので、家人はしばしばここから出入りした。むろん鍵などはかかっていない。小学校の夏休み...
四季雑感

職人芸だった胃カメラの時代

職人芸だった胃カメラの時代かつて胃の検査といえば、まずレントゲン検査であった。バリウムというドロッとした液を飲み、発泡剤という粉で胃を膨らませ、からだの向きを変えながら胃の写真を撮るのである。我が国は胃ガン大国であったから、この技術が発達し...
四季雑感

学問のすすめ

大学を出たとき、もう一生、試験とはおさらばという解放感に満たされた。無論、そう考えても不思議ではないだろう。ところが大学の研究室にはいると、毎週のようにカンファレンスが開かれ、研究成果を述べねばならない。それを纏めて発表するため、数か月に一...
四季雑感

お茶とピアノ

学生時代は年中、金欠状態だった。はたちを過ぎたのに金銭感覚が乏しく、人並みに仕送りはあるのだが、目の前の欲しいものについつい手が出てしまって、すぐに食い詰めるという具合だった。そのうち、子供の頃かじったピアノにふと興味が沸き、他大学の音楽科...
四季雑感

人生いろいろ 医師と患者のはざま

患者には厳しいが自分には甘く、その結果、からだを壊す医者の話しはよく聞く。これを医者の不養生という。じつは自分もその口で、仕事を離れるとつい自分には甘くなってしまいがちだ。したがって、時には他科の先生のお世話になることがある。そういう時は、...
四季雑感

写真家に似て非なるもの

自分は毎日写真を撮っているから、写真家の端くれと言えないこともないが、本当は胃腸の中を撮影するのが仕事である。じつは子供の頃から絵を描くのが大の苦手だったが、写真ならシャッターを押すだけで、絵の上手い連中と同じように撮れるので、大いに気をよ...
四季雑感

忘れるのもよし

歳をとると、運転免許の更新に認知症試験がいるという。ばかにするなと模擬テストなるものに挑んでみたが、試験の残り時間が気になりはじめると、覚えたはずのものが瞬く間に消えてしまい、散々な結果だった。高齢者では脳の細胞の2,3割は死んでしまってい...
四季雑感

蝶のこころ

猫の額ほどの庭に居て、のんびり眺めていると、蝶が花の蜜を求めて飛び交っている。花の数は知れているので、いくつか花を訪れてはまた、元の花へ戻るのが見える。さっき行ったからよそうと思わないのか、それとも行ったかどうか忘れたのか、蝶の本心はどうな...
四季雑感

O先生のハガキ

O先生に初めて会ったのは、医師になって1年目、文献を探すため医学部図書館へ行ったときだった。当時40すぎの先生は筆頭講師の地位におられたが、新進気鋭の肝臓病学者としてすでに全国に名の知られた存在であった。図書室の机上に分厚い洋書を開き、熱心...
四季雑感

祖父の髭

高校時代に髭を剃った記憶はない。大学に行くため郷里を離れて下宿をし、銭湯に通うようになってから、髭を剃り始めた。しばらくは数日に1回、ディスポの廉価な髭剃りで事足りていたのだが、学年が上がり臨床実習で患者さんに接するようになると、そうはいか...
四季雑感

“論より証拠”は本当か?

昭和4年の世界恐慌で日本経済は落ち込み、失業者が街にあふれた。地方では娘の身売りが頻発したという。すさんだ世相だったことが偲ばれる。このころ、日清日露戦のあと中国に常駐している日本の植民地常備軍(関東軍)に不穏な動きが出てきた。ほどなく中国...
四季雑感

拒否的抑止力で生き残れるか

年配のかたなら、淵田(ふちだ)と聞けば、「トラ、トラ、トラの淵田さんだね」と答えるほどの海軍軍人である。「トラ、トラ、トラ」は真珠湾攻撃の直後、淵田が奇襲成功を本部に打電した暗号文である。真珠湾攻撃に先立って、航空隊指揮官・淵田美津雄は、作...
四季雑感

コロナ禍から見える世界

また3月11日が来た。東日本大震災以来10年、マスコミはこぞって犠牲者のことを忘れないでといっているが、残念だがそうはいかない。我々はだんだんと忘れていくだろう。親だって、死んで10年もすれば思い出すことが少なくなる。まして他人となると、忘...
四季雑感

コマーシャル雑感

テレビは見るばかりが能でない。目をつむり、耳を澄まして聞くのも一興だろう。特にコマーシャル(CM)で、そうおもう。もともと視聴者は、見たくもないものを仕方なく見てあげているんだという不遜な立場にいる。 一方、スポンサーは視聴者の視線を感じな...
四季雑感

無意識のなかで

最近あおり運転のニュースが話題になることが多い。実にたわいない理由で、かっとなってあおり行動に出ているのを見ると、潤いのない乾燥した世相のためか、もともと堪忍袋の緒とはその程度なのかと考え込んでしまう。考え事をしながら運転していると、前を見...
四季雑感

籠の中の鳥

19歳で無期懲役の刑に服し、精神障害も患ったため、 80歳を超えてこのたび、出所を認められたというひとがいる。 60数年間は昭和年間に匹敵する。昭和という時代をこの目で見ずに、大正からいきなり平成の世に出てきたに等しい。 まるで変貌してしま...
四季雑感

稀有な体験

地震で家が倒壊したのが、出掛けた直後だったとか、墜落した飛行機に乗り遅れたため九死に一生を得たなどというニュースを聞くたび、たまには、そんなことも起こりうるだろうとは考えるのだが、それが何度も繰り返すとなると、偶然だとはいえない何かを感じる...
四季雑感

台風の目

台風はなにも最近になって来始めたわけではない。平安期の「扶桑略記」に台風襲来の記述があり、鎌倉期には博多に押し寄せた10万の元の大軍が、台風によって沈没している(弘安の役)。昔から、わが国は台風とは切っても切れない間柄である。悪意に満ちた台...
四季雑感

サッカーと私

姉が結婚すると聞いたとき、相手が会社員としか知らされなかったし、24,5なら結婚するのは当然だろうという程度の記憶しか残っていない。昭和45年ごろのことで、当時、自分は呑気な大学生だった。結婚式に出て、義兄が日本代表のサッカー選手で、しかも...
四季雑感

士農工商の記憶

近年、明治という言葉を聞くことも少なくなったが、亡父はかろうじてその明治末年の生まれである。本人は格別それを誇りにしていた。一方、母親は戦時下、女学校に勤務していたある日、喜々として帰宅した父親から、「結婚が決まったぞ」と告げられた。当時、...
四季雑感

旧き良き土佐は今?

いごっそう最近は「いごっそう」がいなくなりましたと、土佐の友人から聞き及んだ。いごっそうは異骨相とも書き、いかめしい風貌を想像するが、じつは見た目ではない。強烈な自己主張、筋を通す、容易に迎合しない、他人の話を聞かないなどから髣髴とされる硬...
四季雑感

ツバメ問答

今年もツバメが飛来した。我が家の軒下にもやってきてガヤガヤとかまびすしい。すでに30年来の風景である。古来、ツバメは稲の害虫を退治してくれる益鳥と教わってきたうえに、森の中に巣をつくらず、人家の軒下に居を構えるため、他の鳥たちより、親しみが...
四季雑感

土地は誰のものか

加賀120万石、伊達62万石という。一石はひとりが一年間に食べる米の量に相当するから、これに年貢率をかけると、どれほどの戦闘員を養えるかが計算できる。つまり石高は大名の財力だけでなく、保有する戦闘能力を誇示するものであった。江戸時代の米生産...
title
sub-title
title
sub-title
title
sub-title
title
sub-title