歳をとると、運転免許の更新に認知症試験がいるという。ばかにするなと模擬テストなるものに挑んでみたが、試験の残り時間が気になりはじめると、覚えたはずのものが瞬く間に消えてしまい、散々な結果だった。
高齢者では脳の細胞の2,3割は死んでしまっているというから、残りで何とかやらないといけない。
記憶が一瞬にして飛んでしまうこともある。
或る会で、挨拶をするためマイクの前に立ったとき、カメラのフラッシュで眼の前が真っ白になり、喋ろうとした文句が一瞬でふっ飛んでしまった。
光が記憶装置を遮断して、すべてを消し去ったという感じだった。味気ない内容だが、なんとか即席の挨拶をすますことができ、ほっとした。
なかなか忘れられないと悩んでいる人に会うと、忘れ症の自分などは、むしろ憧れの念を抱きがちである。
しかし忘れたいことはおおむね、思い出したくないことだから、忘れられないのも大変だという気がする。結局、忘れるのもよしという気になる。
中学生のとき,朝礼で生徒全員が校庭に集められた。
そこで、校長先生に紹介された記憶の達人なるひとが、生徒たちの書いた数百の数字を数秒で記憶し、みんなの前でひとつひとつ披露して我々を驚かせた。そのあと校長先生は,誰でも努力すればどんなことも出来るようになると、生徒たちを鼓舞したのだった。
後年、あれは写真機で撮影した如く、画面ごと脳の海馬に取り込まれ、それを見ながら喋っていたんだと納得した。
海馬とは脳の真ん中にあるタツノオトシゴの形をした記憶装置である。親指ほどの大きさだが、驚異的な記憶容量をもつスーパーコンピューターである。無論、我々だって持っている。
学生時代の友達にも、試験前になって、面倒だから全部暗記してきたという人がいた。中身はよく分からないが、覚えるだけなら何とかなるというのである。教科書、数十ページだったと思うが、唖然としたのを覚えている。これも同様に、いったん写真に撮ったのを見返しながら解答していたことになる。
医学を学ぶようになって知ったことだが、技術的なことは一度覚えると、海馬とは別の場所に保存され、記憶はだめでも手は動くということになるらしい。
昔から、多少呆けても職人技は衰えないというのがこれにあたる。90になってもベートーベンの曲を弾くひとがいたが、手に技術をつけておくと、なにかと便利だという気がしないでもない。
最近はアルツハイマー型認知症がよく話題になり、情報を伝達するアセチルコリンが問題だという。記憶の元締めである海馬あたりから出ている物質で、これが出なくなると記憶が出来なくなるらしい。
このため、アセチルコリンの分解を妨げる薬の開発や、アルツハイマーのひとにアセチルコリンを分泌する細胞を移植しようという試みもあるらしい。
また、脳の中で造られるアミロイドβという蛋白質がくっついて大きくなると、脳から出ていけずゴミとなって溜まるため、アルツハイマー型認知症を引き起こすといわれる。
すでにiPS細胞研究の結果、パーキンソン、喘息、てんかんに用いる3種類の薬剤の併用で、アミロイドβを減らすのに成功していると聞く。ならば、 そのうち厄介者のアミロイドβを処理できる日が来るだろう。
しかし、そんな日が来たら来たで、この世に口うるさい老人がはびこることになるだろう。