四季雑感/SIKI

旧き良き土佐は今?

旧き良き土佐は今?

旧き良き土佐は今?

いごっそう

最近は「いごっそう」がいなくなりましたと、土佐の友人から聞き及んだ。

いごっそうは異骨相とも書き、いかめしい風貌を想像するが、じつは見た目ではない。強烈な自己主張、筋を通す、容易に迎合しない、他人の話を聞かないなどから髣髴とされる硬骨なキャラクターである。

昭和49年、医師になってはじめての勤務先が高知の安芸という地方都市の病院であった。

県内では中規模の病院で、内科は60過ぎの院長をはじめ2年上の先輩が3人で、自分をいれて5名である。

院長に赴任の挨拶に行くと、初対面でいきなり「女には手を出すなよ」と返された。

そういうふうに見られたかと思ったが、「いごっそう」の先制パンチであると納得した。

相手を傷つけるかどうかより、自分の考えを率直に述べることにしか関心がない。それ以来会っても「おう」と手を挙げるだけである。

根掘り葉掘り聞きたがる上司も疎ましいが、まったく無関心というのも非情ではないか。

しばらくはそう思ったが、生活に慣れてくると、かえってありがたかった。結局、2年間で話し合ったのは、赴任のときと退任のときだけである。

病院職員にも「いごっそう」がいて、酒が入ると一晩でも議論を続けるという猛者が少なからずいた。言うだけ言わせておくが、自分の主張は決して曲げない論敵もいた。

はちきん

一方、女性にも「はちきん」と呼ばれる、「いごっそう」をも一蹴する男勝りがいた。

病棟婦長もそのひとりで、新米医師を横目に見ながら、堂々と患者へ病状説明や食事指導をおこない、医師をも自分の方針に従わせるという勢いである。

ミスを指摘して一発逆転をはかりたいと目論んだのだが、終始攻め入るスキを見せなかった。懐かしき仇敵である。

婦人科医にも「いごっそう」がいた。多少自分に不利だと思っても、一度言い出だしたらあとにはひかない。

ある時、スピード違反で捕まったのち、運悪く、数十分後にまたスピード違反で捕まった。心情は理解できぬでもないが、2度目に捕まった時には、怒り心頭であった。

警察官に向かって、「さっき捕まったばかりなんだ。もういい加減にしろ。大体俺は、日頃から君たちの奥さんの面倒を見ているんだぞ。」といって凄んでいる。

こうして小1時間もねばったが、結局「いごっそう」の主張は通らなかったようである。

かと言って平生、過酷な労働条件には苦情ひとつ言わない。昼夜を問わず住民のお産に応じる姿勢からは、とても無理を通すような人物には見えないのである。平時には「いごっそう」も分をわきまえているということであろうか。

閑話休題

秋の収穫時になると、地区地区に分かれて神祭(神社の秋祭)がおこなわれる。あらかじめ新聞の折り込み広告には、いつどの地区で神祭がおこなわれるかが公表される。

夕方になると周りがそわそわし始め、今日はどこそこで神祭だから、一緒に行こうと誘いの手がのびる。

日が暮れて、興味津々で神祭の地区へ出かけると、氏子の家は玄関が開いたままで、誰でも出入り自由である。奥では20人ほどの酒客が集い、宴たけなわである。

見知らぬ家に入るのを逡巡していると、引率者はどんどん入ってく。知りあいのお宅かと尋ねると「まったく」との返事で、なおさら入りにくい。目立たぬように席に着くと、目の前には巨大な皿鉢料理が並び、いきなり隣席の客人より、まず一献と酒を勧められる。

どこの誰とも聞かず世間話しを始め、おまんはどう思うか?に応じ、意見を述べると、喜色満面となる。相槌では容易に納得しない。相手の素性は二の次である。

俺と意見が違うならとことん話し合おうじゃないかというのである。とにかく、土佐人の議論好きは有名で、酒が入ると2,3人が向き合っては、そこかしこで口角泡を飛ばしている。

しばらくすると、友人が次へ行くという。見渡すとさっきまでいた人は既に去り、次々と新しいひとがやってきている。

しからば次へと立ち上がったが、家主に別れを告げずともお構いなしの雰囲気なので、そのまま辞して、隣の氏子の家へ上がり込む。こんな調子で一晩に何軒も渡り歩くと、いつの間にか日付けが変わっているのに驚き、家路を急ぐのである。

この宴席の奇妙な愉快さは、楽しく話ができるなら相手を問わず接待するが、お愛想だけは御免こうむるというあたりにある。曖昧な返答をすれば、「おまんは本気で考えちゅうがか?」と問い詰めるのである。

この見知らぬ人にも、いきなり本論に入るという精神は、土佐人の最も魅力的な一面を見る思いがする。「いごっそう」のと言い換えてもよい。

愛媛にもお遍路さんという接待の精神があるが、原点は似て非なるものである。

私にとって「いごっそう」は懐かしい思い出だが、人の往来が盛んになり人心が洗練されると、無骨がゆえに失われていく運命にあるのだろうと諦観している。

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