耐震強度偽装問題のことである。
昨日の証人喚問を聞きながら、口語と文章語のへだたりを嘆息した。
設計を依頼したひと。設計をしたひと。それを許可したひと。建てたひと。それを売ったひと。
ことごとく証人となって、なお犯人は不在である。
舌先三寸、申し開きはいかようにでもという声が聞こえる。
文章語にくらべ、口語表現の解釈は際限がない。
建築業界の依頼はしばしば脅し・強制となるようだ。
言った言わないの差は歴然としているが、「言わない」はしばしば「そんなつもりで言ったのではない」となる。
結局言っているのである。
例えばあるものの印象を問われて、「いいねえ」といったとする。
それは、「どうでもいい」から「心底いい」まで解釈はいかようにもとれる。
「どうでもいい」は「よくない」の意であり、「心底いい」は「とてもいい」というわけで、「いいねえ」が玉虫色であることがわかる。
「まあまあ」、「なかなか」、なども同様で、よくよく相手の表情をみてないととんでもないことになる。
欧米文化圏のひとが納得できないのは、まずここだろう。
まことに日本語はじれったい。
それにしても、あの証人喚問、外国人記者はなんと書くのであろうか。