四季雑感/SIKI

もはや住むべき土地はないか

もはや住むべき土地はないか

もはや住むべき土地はないか

12019 / Pixabay

久しぶりに地球儀をみて、あらためてわが国の狭小なることを思った。

その狭き土地のことである。

都会では、目の覚めるような高値で平然と売りに出されているが、住むべきところはもう僅かだと聞くと、なんとしても欲しくなるものらしい。

室町のおわりまで、土地は地侍や国人という農民集団を統括するボスの手に握られていた。

彼らは日頃、部下に対し農作業に精を出させ、戦いが始まると丈夫そうな者を選んで武装集団とした。

秀吉は天下をとると、ただちに彼らを潰して土地の所有者を耕作農民自身とし、そこからあがる租税をすべて自分の懐へ入ってくるようにしてしまった。

これに反発した地侍や国人は全国各地で一揆をおこしたが、秀吉は武力にものをいわせ、彼らを抹殺してしまったのである。

こうして土地は農民の持ちものという常識が定着した。

また江戸幕府は、富農が貧農から土地を買い集めるのを防ぐため、田畑の売買を禁止した。

さらに、士族は金銭の世界と一線を画し、身綺麗にして一切土地をもつということはなかった。

大名にしても年貢は徴収するが、土地は所有しなかった。

自ら築城し居城する城ですら自分の持ちものでなかった。

こうして江戸時代を通じ、農地は年貢を納める農民のものであった。

明治維新となっても、しばらくこの原則は変わらなかった。

ところが、明治六年の地租改正は維新政府の屋台骨を揺るがす由々しき事態となった。

それまで三百年、国民の大半を占める農民の生活は自給自足である。

税金も米だし、金銭でものを買うという習慣がない。

家には現金がないから、いきなり金で税金を納めろといっても、どうしてよいかわからない。

よろず屋とか、造り酒屋とかに自分の土地を売り渡し、代わりに税金を納めてもらう事態が頻発した。

明治六年を境として、我が国の農民は一挙に自作農から小作農に落ちぶれることとなり、小作農のうえにあぐらをかいた寄生地主が湧出した。

それは太平洋戦争まで続くのである。

戦後マッカーサーは、これら小作農に寄生した地主層を潰しにかかり、彼らの田畑を再度小作農に分配し、寄生地主の消滅に成功した。

昭和29年、神武景気を迎え土地価格は急騰。

土地こそ資産という“土地神話”が我が国を席巻したが、平成二年のバブル崩壊でその神話も消滅した。

それにしても、わが国土は狭い。

核家族の膨張を支える土地には限りがあるという脅しには弱い。

現在の奇怪な土地事情はこの背景のうえに成立している。

目を転じて、中央アジアの草原にすむ遊牧民におもいを馳せてみよう。

彼らは家畜の群れを率い、家畜が牧草地の草を食べつくさないように注意しながら、一ヶ所に定住せず、年に何度か移動しながら牧畜をおこなって生活している。

食糧源とともに住むのであるから、食生活には困らない。

一見あてどもなく移動しているようだが、決して自給自足ではない。

農耕民の住む地域のそばを選んで住み、そこにいる住民と家畜の売買をおこなって、うまく生活必需品を確保している。

衣食住にさほどの苦労をせず、自然を満喫しながら生きているようだ。

彼らに日本の土地事情を話せば、呆れてものが言えないというだろう。

馬上の彼らに見下ろされた我々農耕民族は、僅か10cmほどの土を掘り下げながら年中土地にへばりついている気の毒な人々と写るのではないだろうか。

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