学生時代、試験の前日になって膨大な資料を前にとても覚えきれぬと嘆いた思い出は誰にもあるだろう。
ところが、知的障害をもつ自閉症のひとのなかに、膨大な量の書物を一読しただけですべて暗記してしまい、楽譜は読めないがピアノ曲を一度聴いただけで、ただちにそれを弾いてみせる人たちがいる。
忘れる能力がないのではないかと、いぶかしがられる奇異な才能を発揮し“サヴァン症候群”とよばれる。
いったいこの人たちの記憶装置はどうなっているのだろうか?私たちの大脳表面を覆っている大脳皮質のなかには視覚・聴覚・触覚専用の領域があって、見たり聞いた情報がいったんそこに運ばれたのち、記憶回路のある海馬に電気信号(インパルス)として送られる。
正確にはこの電気信号は神経細胞(ニューロン)のシナプスというつなぎ目で化学物質(神経伝導物質)に変換されて伝導される。
側頭葉の内側には海馬というタツノオトシゴに似た形の記憶中枢がある。
ここにある記憶専用の神経細胞にはマグネシウムイオンで塞がったレセプターがあるが、この細胞に向かって何度も何度もインパルスが刺激すると、だんだん電位が高くなって蓋をしていたマグネシウムイオンがはずれ、カルシウムイオンが流れ込む。
それに伴い記憶をつくる素になるカムキナーゼ2(蛋白質リン酸化酵素)などが活動して記憶がつくられ、数週間保存されるという。
すなわち海馬は短期記憶センターといえる。
このあと、必要な情報は再度電気信号として大脳皮質の側頭葉 へ送られ、長期記憶として保存される。
歳をとって最近の出来事はすぐ忘れるのに、昔のことはよく覚えているというのは、海馬の老化(神経細胞の萎縮)を意味している。
子供の頃、いきなり自転車に乗ろうとすると失敗するが、一度乗れ始めるとあとは難なくこなせるようになった経験があるだろう。
少年時代、バタフライに挑戦したがうまくいかない。
たまたま水泳に堪能な友人が目前で泳いで見せてくれた。
そのまねをしていたら一日で泳げるようになり、感激した思い出がある。
いずれも頭で理解しただけではできないが、恐る恐るやっているうちにからだが覚えるというものである。
新米医の頃、内視鏡の達人にどうしてそんなに器械が操れるのか質問したことがある。
すると“自然に手が動いちゃうんだよ”といわれ唖然とした思い出がある。
しかし考えてみれば、技術というものは書物をよんで納得するものではなく、体得するものであると思い至った。
毎日、内視鏡を扱う仕事をしているが、いちいち記憶を呼び起こしながらやってはいない。
確かに、自然に手が動いているというのが実感である。
およそ、技術はすべてそのような性格のものであろう。
どうもその技術なるものは記憶中枢の海馬や側頭葉ではなく、大脳基底核や小脳というところに保存されているらしい。
まわりからボケたと言われながらも技術だけはしっかりしているという高齢者のはなしを聞く。
技術の保存場所と記憶中枢が異なっているためであろう。
ところで、知識は保存しているだけでは価値がない。
これを使って思索し、創造するという作業がひとのひとたる所以であろう。
この作業をおこなっているのが、ひたいのすぐ後ろにある前頭連合野であって、いわゆる知性を生む場所である。
ネアンデルタール人から現代型ホモサピエンスへと、脳は確実に進化してきている。
とくに前頭葉はそうであろう。
しかし、その結果、ひとは他の生物に対しより攻撃的になったとはいえないだろうか。
ひと同士についてはどうであろう。
今なお戦火の止まぬ世界情勢をみるにつけ、脳の進化はまだまだの段階にあるといわざるをえない。