先週までの執拗な五月雨(さみだれ)と落雷の攻勢に、うんざりしたのも束の間、今朝、目覚めてみると街中は、まごうかたなき盛夏となり、突然訪れた白南風(しろはえ)の明るさに一瞬目がくらむ。
この暑さには一日とて閉口しないものはないが、古人は暑さを避けながら日々の移り変わりに歌を口ずさんだ。
早朝まだ気温が上がり始める前、ふっと頬を横切っていく風に涼しさを感じ、朝涼(あさすず)と詠んだ。
夕方の気温が下がり始めたころに感じるのは夕涼(ゆうすず)で、その微風を響きよく涼風(すずかぜ)と詠んだ。
“涼風や 虫の羽音の 絶えにけり”
小さくか弱い虫も羽ばたきを休めるほどに、涼風は一服の清涼剤になったであろうか。
街に出ると、白日傘(しろひがさ)が目に涼しい。
今や夏に着物を着る人は少なくなったが、かつて羅(うすもの)は透けるような軽さから、“薄衣”(うすぎぬ)とか“蝉の羽”と呼ばれ、愛用された。
“羅を ゆるやかに着て 崩れざる” 松本たかし
川沿いの石手川公園は万緑に染まり,緑蔭に坐す老夫婦は、たまゆら至福の時を過ごしているようにみえる。
石手川を上流に向かい、ダムのあたりまでいくと、うっそうとした木々の下はひんやりとして青葉闇とも木下闇(こしたやみ)ともいう薄暗さとなり、わずかな木漏れ日が目に優しい。
切り立った山の岩肌からは清水が湧き出て、まさに山滴る(したたる)ごとしである。
“つつしみて 玉の音たて 草清水” 鷹羽狩行
夏の夕、縁側に坐してくつろぐことは少なくなった。
冷房の利いた部屋から出ることが少なくなったせいである。
田舎にある本家に出かけた際、端居する程度となった。
厳密には、縁側に坐して涼をとるのを夕涼み、単に縁側でくつろぐのを端居(はしい)と呼ぶ。
“ゆふべ見し人また端居してゐたり” 前田普羅
夏の夜、気の置けない友人と行きつけの料理屋に出かけ、夏座敷でくつろぎながら、亭主お勧めの「14代」をチビチビと味わう。
“美しき緑走れり 夏料理” 星野立子
今年は7月26日が丑の日である。
土用とは、各季節の終わりの約18日間であり、通常は夏の土用をいう。
とくに夏の 土用の丑の日には鰻を食べて夏バテをとる習慣があり、気の毒なはなしだが、今年も我が国の鰻に逃げ場はなさそうだ。