名古屋国際マラソンを前にして、土佐礼子は心に期すものがあったろう。
名古屋のコースはいわゆる悪路で記録が出にくいといわれ、しかも試合前の土佐は1年以上足を痛めて練習もままならず、優勝の本命からほど遠かった。そこでみせた好記録での逆転勝ちは、選考委員に有無を言わせぬ出来ばえだった。
30キロすぎのスパートは、相当の胆力がいるという。引き離されるほうにとっても、50メートルの差は観念するに十分な距離らしい。あの差を追いつき追い越したときの悲鳴を交えた息使いに、捨て身でこの勝負に賭けた彼女の執念をみた。
土佐の喘ぎに息を呑んだ人の多くは、彼女が代表に選ばれほっとしたのではないか。確かに高橋尚子は気の毒だった。すでに陸連のお墨付きをもらっていたからこそ、名古屋国際を辞退したはずである。
なぜなら、シドニーで金をとった後もアテネへの思いは尋常でなく、練習に取り組む彼女の情熱は周りの予想をはるかに超えるものだった。一日数十キロを走りこむひたむきな努力は金メダリストの余裕など微塵もなかった。
そのアテネへの切符がどうなるか分からないというなら、きっと名古屋へ出場したに違いないし、出ればきっと勝ったであろう。陸連も罪なことをしたものだ。
ただ、名古屋を辞退するにあたり、ここで出場するとアテネに間に合わないから出ないといったのには驚いた。間に合わない時期に選考会をする陸連のやり方を正面きって否定している。これでは名古屋へ出場した者の立場がない。
名古屋に勝った土佐の胸中はどうであろう?後味のわるさの原因は、陸連のあいまいな選考方法にある。3人を選ぶのに4つの大会をもうけ、その上過去の実績を重んじるという。
過去を重んじたいなら、1人は過去の実績で選ぶといえばよかったのだ。重んじないなら、そんな気を引く文言はやめて、3つの大会のトップを選ぶとすればよいし、そんな面倒なことはやめて、ほかの競技と同様、ひとつの大会に限って選べばよい。
フェアープレイを第一に考えるならば、この制度はもういちど検討し直すべきではないか?
私も学生時代、陸上部に所属していた。目立った記録は残さなかったため、選考にもれ無念の思いをしたこともあるし、強い相手が出ないのを聞いて小躍りした経験もある。
地方競技会ですら、2~3ヶ月の厳しい練習を経て本番に臨む。これに勝てば国体に出られるなどということになると、緊張のあまり存分に力を発揮するという具合にはいかない。
また本番に調子のピークをもっていければいいのだが、うまくいったためしがない。実際この調整には随分悩まされた。
とはいっても、マラソンの調節の難しさは、他の競技の比ではあるまい。ましてオリンピックともなれば、なおさらである。さすれば先述した高橋の問題発言は、本気で金に照準を合わせた彼女の本音であったろう。
私事に戻るが、競技生活を8年もやっていると、何度か不思議な経験をした。すごく体調がよく好記録が出ると予想して臨んだときには、意外といい記録は出ない。
ところが練習に疲れて体が重く、気も乗らないようなときにふと自己最高記録が出るのである。振り返ってもいい走りではなかったと思うのだが、コーチからはOKサインがでて、不審に思ったものだ。
高橋が東京国際マラソンの前日、信じられないほど絶好調で明日が楽しみと言ったのを聞いて、やや不安を覚えた。
かつて自分もからだが浮くほど絶好調と思ったとき、本番で足が地につかず、惨敗を喫した経験があったからだ。
彼女が聞けばいやな顔をするだろうが、東京国際に敗れたあの日、私は天下の高橋と気持ちを共有できたとおもった。