四季雑感/SIKI

補償はいつまで?

補償はいつまで?

補償はいつまで?

hbieser / Pixabay

医学生時代のことである。或る時、数人の仲間と宴席を囲んで、とりとめもない話をしていた。と、隣にいたK君がそばのO君に向かって、“お前んとこにはひどいめに会わされたからなあ”とやりだした。

よく聞いていると戊辰戦争の恨み節である。ちなみにKは会津、Oは薩摩の出である。律儀な松平容保が武士道を遵守した結果、会津藩は完膚なきまでに悲惨な幕末史を記すのであるが、K君は親子代々、薩長への恨みを伝え聞いて育ったのであろうか。

酩酊するほどにKの怒りはエスカレートし、皆で止めに入って水入りとなったが、100年も前のことを持ち出して謝れという神経に、いささか驚いた。

ところで北朝鮮の金正日総書記がわが国に対し戦後補償を求めた際、秀吉の朝鮮出兵の補償まで言及していると聞き驚いたのだが、こちらは400年前ということになる。

確かに、朝鮮側には全くいわれなき侵略行為であったとは思うのだが・・・一体、補償の期限とはいつまでさかのぼればいいのであろうか? 自衛隊派遣で議論沸騰するイラクもアフガニスタンも多民族国家のゆえに、単一国家になりきれない苦悩を抱えている。

その点日本は単一民族でよかったというはなしを見聞するが、決してそうではない。

われわれアジア人の祖先がモンゴロイドであることは周知のとおりであるが、2万年前、東南アジアから南九州へ入ってきたO型中心の旧モンゴロイドと、沿海州より北海道へ入ってきたB型中心の新モンゴロイドによって縄文人の原型が出来上がったとされる。

そこへ2300年前、呉越戦争で難民となった人たち(AあるいはB型)が稲作と鉄製武器をもって大挙来日し、縄文人を南北に追いやって現代日本人の基となった。

したがって、われらが祖先は純粋な単一民族ではなく、中国側からみれば日本人など自国の難民にすぎず、わが国縄文人からみれば凶暴なボートピープルということになる。

それにしても、戦後のドイツや朝鮮半島の民族分断をみるにつけ、わが国が長い歴史のなかで一度も国家分裂の危機がなかったのは意外である。恐らく日本を動かす勢力が圧倒的に本州の一部に集まっていたからであろう。

わが四国は瀬戸内海で隔てられていたため、歴史の潮流を傍観しながら過ごしてきた感がある。しかし、それはそれで幸運なことであったと思うのである。

ちなみに、日本人の40%を占めるA型人は 瀬戸内沿岸から京・大阪に多く、質素・潔癖・ひかえめではあるが、粘りに欠け諦めがはやいと揶揄される。

瀬戸内沿岸に住むものとして、なるほどと首肯しうることも少なくはない。

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