松山市の郊外久万高原から車で面河渓谷に向かい、30分ほど九十九折りの山道を登りきると、突然視界が開けて四国カルストの台地に到着する。
放牧された牛たちの間延びした動きに、下界ですり減らした神経の愚かさを恥じながら山荘に腰を落ち着け、一夜を過ごした。
さてその翌朝である。
まだ暗い5時すぎに眠い目をこすりながら、御来光を迎えるナイススポットへ出かけた。
すでに20人ほどの泊り客が来ている。
夏とはいえ随分肌寒い。
まもなくどんよりした雲海のなかに忽然と太陽が姿をあらわした。
金色の火の玉という感じである。
強く目を射るため、普段はじっくり見つめることがないのだが、このときばかりは居並ぶものことごとく見入ってやまない。
たかが太陽を見るためにこんな無理をしてまで集まってくるのは、われわれ日本人だけであろうか。
縄文期のひとびとは狩猟採集の日々であったから、平地には住まず森林山岳地帯に住んだ。
おそらく御来光に見入った縄文人も少なくなかったであろう。
今の我々においてすら息を呑むこの風景である。
いにしえの人々が太陽に絶大な権力を期待し、崇高の念を抱いたのもうなずける。
卑弥呼をはじめ、多くの予言者が太陽の変化(日食・月食など)をおおいに利用したことは想像に難くない。
四国カルストからみる石鎚連峰は美しい。
なかでも石鎚山はいにしえより霊山の扱いをうけ、山岳信仰が盛んである。
もともと山岳信仰(修験道)は古代神道に仏教や道教、神仙思想や陰陽道が習合したもので、一宗教としては体をなさず、一般には呪術による加持祈祷というイメージをもたれることが多い。
山伏(修験者)に対しては偏見もあるようだが、純粋には山中にあって艱難苦行をなす修験者であって、命がけである。
目的は常識を超えた超自然的な力を身につけることにあるといわれる。
たとえば、7日間の断食行と終日読経。
わずかな睡眠のみが許される。
修験者は3日目あたりから激しい幻覚を襲われることが多いが、その後、心身ともに平静をとりもどし、明鏡止水の境地に至って行を終えると言う。
幻覚がおこった脳のなかでは多量のセロトニンが分泌され、LSDなどの幻覚剤を投与されたのに似た状況になっているらしい。
空海をはじめ多くの宗教人が難行苦行の最中、幻覚に似た異常体験をしているのも同様の機序による可能性が考えられる。
石鎚霊場も他の霊山同様、役小角(えんのおづの)を修験道の開祖と仰いでいるが、問題はこうして霊的能力を得たという修験者が呪術者として活動する点にある。
こういう修験者に加持祈祷をしてもらい、個人の現世利益を願うくらいはさして問題にはならない。
雨乞い・御祓いも同様である。
しかし修験者に頼み、憎い相手に見立てたわら人形に五寸釘を打ち込む(丑の刻参り)などということになると、事はおだやかでない。
当然社会は受け容れない。
科学的でない不透明な世界であるだけに、呪術者として彼らをどう評価すべきかは難しい問題である。
石鎚山の御山開きに見る修験者のひたむきな勤行を思い浮かべながら、帰途に着いたのであった。