死生観に関する論客を見渡す限り、故キュウプラロス氏ほど光芒を放つ人物はいないとおもわれる。
彼女は若い頃、第2次大戦後の被災者救護のため、国際ボランチア奉仕団にはいり、ポーランドのマイダネク強制収容所に出向きます。
ここで、ナチの犠牲者であるユダヤ人の少女に会って、強い衝撃をうけるのです。
この少女は第2次大戦後、驚くべきことに、自分の家族を殺したドイツ人を涙ながらに援助しようとしていたのである。
キュウプラロス氏は自問自答を繰り返した結果、ナチへの憎悪をつのらせていくことに明るい未来はないこと。
罪を許す人間性こそ最も崇高で尊ばれるものであるとの認識に達します。
後年、シカゴ大学教授となったキュウプラロス氏は、神学部の学生に“死とその準備”を講義のテーマに選びます。
臨死患者の恐怖心や孤独を和らげてあげるにはどうしたらよいか。
どうすれば彼らが死を受け容れることができるかに腐心します。
その結果、以下の結論に達します。
すなわち、死ぬことは難しくない。
だれでも死ねる。
難しいのは生きることだ。
死を避けて否定しているうちは、死を受け容れることはできない。
たとえ目前に死が迫っていても、残された時間を有意義に生きることが大切である。
死をみつめて生きることが、もっともよく生きることになる。
生き方には2つしかない。
悲嘆にくれて暗く悲しい日々を過ごすか、積極的に生き、意義ある日々にするかである。
そして、残された時間の少なさを嘆かず、まだ生きる時間が残っているのを喜びながら過ごすことが大切であると言い切ります。
また、意外な事実ではあるが、末期患者が一番不安に感じていることは、自分が他人の重荷になってはいないかということに気付くのです。
彼らはなぜとか、どうしてとか尋ねるかもしれないが、答えを求めているわけではない。
手を握って欲しいとき握ってくれる人がいるだろうか?ということを模索しているのです。
その結果、おもいやりこそ、死にゆく患者が求めているものだという結論に達します。
ただし、謙虚でなければ相手を助けることはできない。
救うという行為は、しばしば相手に負い目を負わせる危険なしろものなのだ。
ここがもっとも難しい。
今日なおキュウプラロス氏が世界の人々から敬愛される理由は、彼女がそれを克服し、それを体現したからにほかならない。
自分のまわりにも、死を受容し、残された時間を感謝しながら過ごした患者さんがいた。
ガンだから、仕事ができないわけではない。
残された時間を積極的に生きたいという希望は家族の了解を得て、病状からは信じられないほど元気に仕事を続けたのである。
ついに病床に就くことになっても、会えば決まって仕事復帰への熱いおもいを語った。
驚くべきことだが、死の1ヶ月前でもそれは変わらなかった。
それに対する同僚のおもいやりは、尋常でなかった。
頻繁に彼女を訪れ、死にゆく患者のはなしに耳を傾けながらも、明日につながる期待を決して失わせなかった。
遠からず死ぬことは両者ともに了解している。
この微妙なハザマで温かい会話は進行したのである。
患者の覚悟も同僚の情愛も、ともに察するにあまりある。
まさにキュウプラロス氏の求めた世界であろう。
人の生き方・死に方について語るとき、この思い出は多くの友人によって長く語り継がれるに違いない。