「自助」は自分の命は自分で守る。「共助」は町内会程度の地域コミュニティで協力する。「公助」は国や自治体が主導して災害問題に対処することです。
この三助の精神は、江戸時代の米沢藩主・上杉鷹山の「三助の実践」に由来します。
鷹山は三助の実践に基づき、破綻した米沢藩の財政を奇跡的に立て直したと言われます。
ところで100年前、コレラ感染症は「3日コロリ」といって発病3日で死に至る恐怖の病でした。
明治4年、岩倉使節団の一員になった長与専斉は、医学の本場ドイツを視察して衝撃を受けます。病気に対する考え方が根本的に違っていたからです。
我が国では江戸時代から養生といって、健康は自分で守るもので、お上が守るものではないとされてきました。
ところがドイツでは、国民の健康は国が守るべきものだというのです。
そのため、病気を直すよりもむしろ、病気にならぬようにする政策がとられていました。
つまり政府は、国中を清潔にして、国民の体力をつけることに腐心していたのです。
コレラ菌の襲来
日本に戻った専斉は、国の医療行政の中心を担うようになり、明治7年、東京医学校(東京大学医学部)の校長を兼務したまま、内務省に衛生局を設置し初代局長に就任しました(ちなみに「衛生」の語は専斉による命名)。
当時我が国は、不平等条約のため外国船の入港にあたり、海港検疫が思うに任せない状況にありました。
こうしたなか、明治10年、清国のアモイに流行していたコレラが、米艦によって横浜港に持ち込まれ、患者1万4千、死者8千人が発生しました。さらに2年後には国中に蔓延し、感染者16万、死者10万人に達したのです。
長与専斉のコレラ対策
専斉は感染の全貌を把握するため、全国の市町村に命じて患者の発生、推移などの統計をとり、これに応じた対策を講じることにしました。
また、感染拡大を抑えるため、患者を直ちに隔離施設に移し、患者の家には「コロリ伝染病アリ」と張り紙を貼らせて近隣住民の出入りを禁じました。
これは感染予防策としては正当な施策でしたが、残念ながら当時の国民には隔離される意味が十分理解されませんでした。
また、張り紙により近隣から差別、迫害をうけることが多く、制裁を恐れて届け出をしないケースが相次ぎました。
ここに至り専斉は、真に怖いのはウイルスより住民の無理解であることに気付かされたのです。
これを機に、彼は自分の立ち位置を住民の側に移し、彼らと共に衛生意識を高めていくという決意を鮮明にしたのです。
まさにこれが彼の面目躍如というべき処で、この融通無碍な性格が、以後幾多の困難を乗り超える礎になりました。
専斉、水道敷設大事業に取り組む
当時の水道敷設は江戸時代のままで、上水路の汚染や木樋の劣化、消防用水の不足が悩みの種となっていました。とくにコレラの感染予防には汚染水をなくすことが喫緊の課題であり、以後専斉は玉川上水路を利用した水道敷設の大事業に邁進していきます。
また、明治16年、彼は官民あわせて6500人の私立衛生会を設立し、当時の生活用品であるロウソクや火鉢による空気の汚れを防ぐため、密集を避け換気を徹底させるなど、民間人と協力して自治衛生の推進に尽力しました。
すでに当時から、3密を避ける指導が実施されており、感染症対策の基本は100年来、変わってないことがわかります。
コロナ感染の現状を検証する
さて、長与専斉がコレラと苦闘した100年前にくらべ、現在はどうでしょうか。
空港、海港の検疫不備でコロナウイルスの国内侵入を許し、水際対策に失敗した点は、不平等条約のあった100年前にくらべ、改善されたとはいえません。
さらに、「コロナ伝染病アリ」と張り紙はしないまでも、コロナ発生を報道して近隣住民に危険を喚起する風景や、近隣からの制裁を恐れ、感染経路について口を閉ざす住民の姿も100年前と変わりありません。
これでは、われわれが100年前の祖先よりましになったなどとは、とても言えません。
ただ、感染者が発生したあと、ただちに隔離し、接触者を見つけて周囲に感染が広がらないようにする工夫は格段によくなりました。
それでも相変わらず、コロナ感染が各地で発生し、消失する気配をみせないのは、換気をして密集を避けるという100年来の智慧がわれわれ現代人に浸み込んでいないからだと思います。我慢の時期が長引いたため気が緩み、ついつい3密も換気も忘れてしまうからでしょう。
政府の要請に従順な国民性に感じ入ることが少なくありませんが、世論調査などを見ていますと、若者を中心に、我関せずという無関心層が1~2割はいるようです。
かつてこの人たちがウイルス感染を蔓延させていたのは事実ですが、どうもそれだけではない。無症状のまま他人にウイルスをばらまいている人たちが若者だけでなく、高齢者にも相当いることがわかってきました。
高齢者はうつされるだけではない。うつす側にもなりうるということです。こうなると、若者だけに照準を絞るわけにはいきません。
ワクチンの届かない状況下では、当面政府の主導下で積極的にPCR検査を推し進め、発症前に患者をキャッチする施策をとってもらいたいと願ってやみません。
同時に私たちには、ワクチンが行き渡るまでは外出を控え、ウイルスの蔓延が収束するのを待つ我慢が求められましょう。