学生時代、友人の紹介でレナータ・テバルディーを知った。
帝王といわれたカラヤン全盛の当時、ソプラノはアリア・カラスの独壇場にみえたが、その艶やかさは日本人好みとは思えなかった。
友人からカラスに対抗できるのはテバルディーしかいないよと言われ、さっそく彼女のレコードを聴いたのである。
それがプッチーニの代表作“トスカ”であった。
感情を抑え気味に語るような唱法におもわず引き込まれてしまった。
とくに、第2幕のアリア“歌に生き恋に生き”における切々とした語りは実に感動的で、レコードの擦り切れるまで聞き入った。
美人歌手トスカが、政治犯をかくまった咎で死刑宣告された恋人を助けようと警視総監に助命嘆願するも、その代償にからだを要求される。
圧巻のアリアは、トスカが過酷な運命を嘆き神に助けを求めて祈るくだりである。
最近、物見遊山にミラノへ出掛けたところ、スカラ座の前で“トスカ”が上演されているではないか。
聞けば、指揮はロリン・マゼール、トスカはダニエラ・デッシーという当代人気随一の組み合わせだそうである。
オペラは映像で見ると退屈でしかなく、かつて最後まで付き合うだけの根気がなかった。
しかし、なんといってもトスカである。
ここはなんとしても、アリアを聴いてみたい。
スカラ座前のダフ屋に交渉し、やっと6階席を入手した。
入場券はすでに数週間前、発売1時間で完売されたということであった。
はじめてのオペラは臨場感に溢れ、心が躍った。
ストーリーを知って臨めば、言葉の勢いで意味はそれと知れる。
トスカ第2幕のアリアを聴きながら、40年前、下宿のちっぽけな録音機で聴いたテバルディーを思い出していた。
大言壮語するようでおこがましいが、私は40年前のテバルディーの声を覚えていると思った。
若いときに繰り返し聞いたテバルディーは、数十年を経ても耳の奥に刷り込まれて消し去ることは出来ない。
デッシーの素晴らしいアリアを聴きながら、でもテバルディーはここをこういうふうに歌っていた・・・などと、何度も彼女を思い出して懐かしんだ。
それほどの感動を与えてくれていたのだと、あらためてテバルディーに感謝したのである。