1979年の秋、学会出席のためスウェーデンへ出発した。アンカレッジ経由であったから、エコノミークラスの狭い客席に閉じ込められ、16時間、身動きがとれず、もう外国はこりごりとため息をついた記憶がある。
ストックホルムについた日、空港は「ボルボ」一色だったが、塗装が剥げたままのタクシーが平気な顔で往来していた。
夕食をとって店を出ると、21時だというのに街はまだ薄暮で、0時頃になってやっと暗くなった。驚いていると、ほどなく夜が明け始めた。白夜だった。
翌日から、すぐ日本食が食べたくなったが、市内に日本食の店は見当たらない。パンと卵と肉の無粋なメニューが帰国まで続き、うんざりした。
学会場でボトルに入った水が売られているのに驚いた。味付けでもしているのかと思ったが、ただの水だったのにショックをうけた。
水を買う人がいるという事実に驚いた。当時の日本では、店頭で水は販売されていない。水が商品になるという意識がなかったように思う。
テレビの前でサッカーに熱中するひとたちの姿が意外だった。当時の日本ではサッカーは人気がなく、Jリーグもなく、テレビ中継もされていなかった。
学会は英語とフランス語が公用語で、つたない英語で質疑応答するのに冷や汗をかいた。帰国したら基礎から英会話をやり直そうと反省したが、帰ると安心して、なおざりになってしまった。
学会の合間にO先生に誘われ、カロリンスカ研究所を見学に行った。
スウェーデンの誇る医学研究のメッカで、ノーベル賞の生理学医学部門の選考委員会がある。
世界大学ランキングでは医学系大学のトップ10にランクされていると聞いた。古めかしい大学構内を歩いていると、建物の標識が心臓、肝臓など臓器別になっているのに驚いた。
また、1週間の学会の合間に、学会主催のツアーに参加し、7,8台のバスを連ねて、ウプサラへでかけた。
一番前に座ったので運転席がよく見える。運転手の脇にバスガイドが同乗していて、哄笑が絶えない。
それはいいのだが、彼女に話しかける度に運転手の目が前方から離れ、前を向いている時間より長い。
ほとんど脇見運転である。しかも、運転席のそばに缶ビールが置いてあり、何度も口に運んでいる。
到着までの1時間を随分長く感じた。
ウプサラは車で北へ40キロ、人口わずか14万の小都市だが、ウプサラ大学は学生4万人という北欧最古(1477年創立)の由緒ある大学である。ノーベル賞受賞者が15名もいるという。パソコンのマウスもここで発明されたそうだ。
そのウプサラの帰りだった。途中トイレ休憩で下車したところ、急に下痢が始まった。裏急後重というのを、自身はじめて経験した。
裏は胃腸、胃腸が急激に痛んで、後重すなわち、肛門のあたりが重く、便意はあるが出そうで出ない。
ひっきりなしにトイレに駆け込む状態で、バスが出発するから戻るようにアナウンスされたが、しぶり腹となって容易にトイレから出られない。
このまま置いていかれたら、スエーデン語が喋れない自分はどうしてホテルへ戻ればいいのか、気が気でない。バスの人々の冷ややかな視線を浴びるなか、腹を押さえながらなんとかバスへ戻った。
忘れられない苦渋の思い出である。
そんなことを思い出しながら、36年ぶりにストックホルムを訪れた。
昔、整然としてゴミひとつ落ちてないと感じた街は、日本の街が美しくなったせいか、さほどに感慨はない。
ただ石造りの建物は手付かずにして、内装しか手を加えられてないため、景観はモノトーンで統一され、心地よい。
考えてみれば、前回は学会のため、ストックホルムの観光はまったくしていない。偶然、カロリンスカ大学の教授夫人に案内をしてもらうことになった。
夫君はノーベル賞の選考委員でもある。普通ならガムラ・スタンという旧市内の観光をすべきなのだが、ノスタルジアを感じて再度、カロリンスカとウプサラへ連れて行ってもらった。
カロリンスカ研究所は医学系の単科教育研究機関としては世界最大規模で、カロリンスカ大学病院と提携している。
36年前の古い建物はすっかり取り払われ、巨大ビル群に変貌していた。感傷にふける場所など露ほども残っていない。
ウプサラも同様だった。かつては古びた田舎町の印象だったが、すっかり美しい大学町に変貌していた。
地方大学でありながら、ヨーロッパでも最も権威ある教育研究機関のひとつに認定されているのは不思議だと思ったが、世界の1,000以上の大学と共同研究をしており、年間5,000もの学術出版がされているというのを聞いて納得した。
教授夫人の案内で人体解剖教室を見学させてもらった。上がるのを躊躇するほど急峻な階段教室で、中世以来繰り返されてきた授業風景が彷彿とまぶたに浮かんだ。
ウプサラの帰り、車窓から裏急後重の懐かしきドライブインを目で追ったが、
見つけることはできなかった。もう無くなってしまったのかと寂しい思いがした。
36年後の我が国では、水のペットボトルが違和感なく店頭に並び、サッカーはメジャースポーツとなっている。
われわれの意識は容易に変わらないようにみえて、着実に変化しているなと思ったことであった。