周囲の人間が有馬はよかったと口を揃えて言うものだから、お遅ればせながら出かけることにした。
どこが気に入ったのかと問うと、温泉以外何もないのがいいという。
住民ぐるみで、ひなびた風情を温存しようとしているのが良いということらしい。
神戸から車で1時間足らず、有馬温泉に着く。
こじんまりした田舎の温泉地の風景である。
旅館の窓から外を望むに、100年来手つかずに放られたかのような自然の景色が目に入ってきた。
山あいを縫うように走る有馬街道は、すっかり車専用道と化し、歩くものには非情の道である。
とても散策する気分にはならない。
かつて豊臣秀吉が信長の命をうけ、中国地方を平定するため播磨に進軍。
毛利氏をかつぎ、反信長勢力の中心にいた別所長治を攻略するため、この有馬街道を西へ伸ばし、三木まで延長。
長治が立て籠もる三木城を2年間兵糧攻めにし、多数の餓死者をだした挙句に三木一族の自決を招いた、いわくの道でもある。
正々堂々と正面から刃を交えて雌雄を決する「もののふ」の道を否定し、知略でもって敵の勢力を自然消滅させる。
商人的発想に立った秀吉ならではの戦略である。
別所長治の無念は今も「三木の干し殺し」として、語り継がれている。
一方、秀吉にとってみれば完勝だけに、有馬の湯は縁起がいい。
彼はその後10回以上も有馬に来て、2,3週間をかけゆっくり湯治して過ごしたという。
知人から聞いていた通り温泉に入る以外することもなく、終日寝転んで持参の本を読むか、うたた寝して過ごした。
風呂には日に3度入った。
湯は鉄を多く含むため、酸素に触れて濁りはなはだしく、鉄錆びた色をしている。
これが道端などに湧出しておれば、見向きもしないだろう。
それほどに濁った湯ではあるが、有馬というからにはどこかいいところがあるだろうと、じっと見入っていると、光の当たり具合によって金色にも見えてきた。
地元のひとが「金泉」と呼ぶ意味が分からなくもない。
江戸期の温泉番付でも西大関(当時最高位)にランクされたというから、有馬街道を通る温泉客は少なくなかったはずである。
人は変われど、湯の濁りは変わらずか・・湯の濁りに身をひそめていると、いにしえの温泉客を身近に感じるような、妙な気分になった。
日本三古湯といわれる道後温泉のそばに住みながら、わざわざここまでやってくるのも酔狂だが、道後の無色透明の湯とは違う気分を味わえたのだから、もって瞑すべきであろう。