海外紀行/KAIGAI

モンゴメリ街 ショウ写真館

モンゴメリ街 ショウ写真館

モンゴメリ街 ショウ写真館

12019 / Pixabay

秋のサンフランシスコは最高気温20度と過ごしやすく、繁華街をはずれると、妙にひなびた風情が心地よい。

ゴールドラッシュによる外国人労働者が世界中から殺到したおかげで、このような庶民的町並みができあがったのだろう。

在住する白人は50%を切り、アジア人が30%を占める。

行く先々に、気軽に話しかけるアメリカ人がいる。

目があったら友達という雰囲気だ。

他人のプライバシーに無関心を装う英国人とは対照的だ。

ヨーロッパ経由で行くと、人懐っこい笑顔にほっとするひとも少なくないだろう。

大きなジェスチャーを交えた話しぶりは今も昔も変わらぬらしい。

それにしても、街には50を超える丘が乱立し、先へ行くには繰り返すアップダウンを覚悟しなければならない。

それが執拗に続くものだから、ケーブルカーは必須である。

しかしその凹凸に慣れれば住み心地は悪くない。

80万の人口を擁するのが不思議なくらい、こじんまりまとまった街である。

街の中心部にあるモンゴメリ街は、150年を経て今なお健在だが、そこにあったショウ写真館は1904年のサンフランシスコ大地震で倒壊し、もはや面影はない。

150年をさかのぼること、安政6年(1860年)、1か月の滞在を終えようとした福沢諭吉は、渡米記念にとモンゴメリ街のショウ写真館を訪れた。

たまたま主人は留守で、そこにいた写真館の一人娘、12歳のドーラに頼んで写真に納まってもらった。

撮ったのは母親である。

丸腰とはいえ、片言の英語を話す異様な外国人に寄り添う少女の眼からは、多分に困惑した表情がみてとれる。

身分制の厳しい日本では、見知らぬ異国人女性とのツーショットなど、ありえない話しである。

帰りの船の中で仲間にその写真を披露した諭吉は、鼻高々であった。

安政6年2月、外国奉行だった岩瀬忠震(ただなり)の建言により、日米修好通商条約の批准書交換のため、咸臨丸が出航した。

幕府の誰も見たことのないアメリカという国を、有能な幕臣たちに見せておこうという意図もあるが、日本人だけで大平洋を航海しようという画期的イベントでもある。

しかし咸臨丸は全長50メートル、わずか300トンの小型蒸気船である。

その小舟に乗って、海外渡航の経験のないものだけで、いきなり大平洋を横断しようというのである。

そのニュースに、25歳の諭吉はいかなる危険を冒してもアメリカをこの目で見てみたいと念じたのである。

蘭方医、桂川甫周の推薦により、軍艦奉行木村摂津の守の従僕として、なんとか乗船できることになった。

サンフランシスコは当時、人口6万2千の商業都市である。

10年前にはゴールドラッシュに沸き、人口も2倍以上に膨れ上がったが、この時期、街はすっかり落ち着きを取り戻している。

諭吉は珍しげに集まってくる新聞記者がことごとくカメラをこちらに向けるのに驚いた。

無論日本にカメラなどないが、当時アメリカでもちょうど普及期にあたっていたのである。

諭吉は時間を惜しんで街に出かけ、アメリカの空気を吸って回った。

そして無造作に捨てられている空き缶に目を見張った。

日本では火事のあと、焼け跡に残された釘を拾う人々が群がっているのに、この国では貴重な鉄に誰も見向きもしない。

豊かな国を見せつけられたおもいがした。

意を決して、街の人に話しかけてみた。

どの人もきわめて親切に東洋の異人に答えてくれる。

話しかけるのに、相手の身分を考えなくてよいという気分のよさ。

いちいち自分の身分を名乗る必要もない。

人々はみな同じ服装である。

士農工商に固められた日本と、民主国家のちがいを目の当たりにした。

また、木村喜毅のお供でオランダ人医師の家庭を訪れたときには、座っている奥さんのそばで、まめまめしく働く主人の姿に驚きを隠せなかった。

極め付きは、アメリカ大統領だったワシントンの子孫について質問したときである。

誰もそのことを知らないと答えたのである。

徳川家康に相当するひとの子孫について、だれも関心がないという。

門閥は親の仇と考えていた諭吉にとって、門閥のないアメリカはまさに「自由の国」と映ったことだろう。

後年、諭吉は「西洋事情」のなかで、「liberty」の訳に自主・自尊、自在では意が伝わらないとして、仏教用語の「自らに由る」(自らをよりどころとし、他のものをよりどころとしない)より、自由という語をあてはめたのである。

ただし「自由」はややもすると「自分勝手主義」に陥りやすい。

彼は常々門下生に、「自由は不自由の中にあり」と、節度ある自己抑制を促した。

自由という言葉の生みの親が見知らぬ国でうけた感動をおもうとき、今享受している自由の有難さをしみじみおもったことであった。

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