消極的安楽死と積極的安楽死
誰でも死ぬときは人としてのプライドを保ったまま尊厳死、楽に逝ける(安楽死)ことを願うだろう。
元気なうちに遺書となる「尊厳死の宣言書」(リビングウィル)を書いておけば、医師側も家族の同意を得て治療を中止するため、尊厳死を迎えることになる。我が国では通常これを消極的な安楽死と呼んでいる。
ところが、治る見込みがなく激痛で我慢が限界に達した場合には、本人あるいは家族から、なんとか早く死なせて欲しいという切実な依頼がしばしば出てくる。
しかし我が国では、この希望を聞き入れ薬物などで積極的な安楽死を幇助する行為は禁止されている。
この安楽死問題が衆目を集めるようになったのは、平成3年、東海大学付属病院の医師が激痛に苦しむ末期ガン患者に塩化カリウムを静脈注射して死亡させ、殺人罪として起訴されてからである。
結局、この事件は患者本人の意志確認が不明のため有罪となり、安楽死四条件が示された。
安楽死 四条件
すなわち、
に限り、積極的安楽死は合法的になるという見解であった。
これに対し、翌年日本医師会の生命倫理懇談会は、回復の見込みがない患者の延命治療を本人の希望によって打ち切る消極的安楽死は認めるが、薬物などで積極的に死をもたらす「安楽死」は原則的に認めないと言明している。
その論拠として、死が目前にあるという判断が誤っていたらどうするか。耐えがたいという苦痛が別の鎮痛剤で軽減した場合はなお死なせてくれというだろうか。
痛みをとることと“生命”の消去という大事が同じ価値だといっていいだろうか。
激痛で死なせて欲しいといっていても、小康状態になれば安楽死なんてとんでもないと言を翻すひともいる。
医師は人命を救うのが本分であって、自殺幇助という行為は医師のモラルに反するのではないか等々の理由があげられている。
この事件以来、微妙な判断ミスが殺人行為に直結するだけに、医師側も積極的安楽死には手を出していないのが現状である。
これに対し、世界の安楽死への取り組みには大きな変化がおこっている。
宅配安楽死
まず世界初の安楽死法を制定したオランダでは、すでに認知症が進行した高齢者に積極的安楽死が行われているが、このたびついに、保健省の認可を得た「宅配安楽死」チームが稼働し始めた。
安楽死を希望しても応じてくれる医師が見つからない患者のために、医師と看護師のチームが車で駆けつけて自宅で安楽死させてくれるという衝撃的なニュースである。
さらには70歳以上の健康な高齢者にも、自己決定で安楽死を認める法改正を求める声も出てきているという。
こういう世論を背景に、オランダには25歳以上の重症脳損傷患者を治療するための専門医療機関がつくられていないという。
また同様に安楽死を合法化しているベルギーでは、安楽死と同時に臓器提供を自己決定するなら、臓器提供をうけるレシピエントが待機する隣の手術室で死んでもらい、すばやく臓器移植をおこなおう事例がみられている。
合法化していく積極的安楽死
また、米国オレゴン州では、ガン患者に対して抗がん剤治療の公的保険給付は認められないが、自殺幇助(積極的安楽死)を希望するなら給付を認めるというショッキングな通知が届くという。
さらにスイスのヴォ―州では、不治の病または怪我を負った場合本人に自己決定できる能力があれば、医療側は自殺幇助希望者の意思を尊重しなければならないことになっており、医師が薬物などで安楽死させることになっている。
スイスには国内在住者を対象にした「エグジット」という自殺幇助機関(2011年300人以上死亡)のほかに、外国人をも受け入れる「ディグニタス」という合法的な非営利組織(2011年144人死亡)も活動している。
ここでは慈悲殺の介添えに習熟したひとが睡眠薬を渡し、それを飲んだ人は安らかに死に至る。苦痛を訴えるひとは一人もいないという。
しかしいくら合法的とはいえ、自分の身の回りで自殺幇助が頻繁におこなわれるとなると、気持ちのいいものではない。
エグジットは老人ホームか自宅での安楽死のため問題化していないが、外国人相手のディグニタスはアパートなどを使用するため、地域住民から非難の声があがり、しばしば立ち退きを余儀なくさせられているという。
このように、世界的には積極的安楽死が徐々に合法化される趨勢にあるが、現在の我が国の国民感情からは、当分受け入れがたいのではないかと思われる。