伊予物語 18. 幕末の伊予 ペリーの恫喝外交に屈した幕府は日米和親条約を締結し、200年続いた鎖国はあっけなく終わりを告げました。老中安部正弘は朝廷に報告後、大名・旗本に意見を求め挙国一致体制を組みますが、これがかえって幕府の権威をおとしめ、朝廷の権威を高めることとな... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 19. 明治時代の伊予 (1) 明治維新は薩長による軍事クーデターです。エネルギーの中心となったのは水戸学で洗脳された武士たちで、突然自宅に土足で上がりこんだ不審人物を追い返そうとするがごとき“尊皇攘夷”という名の情熱が倒幕を可能にしました。しかも、旧時代の支配者である大... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 20. 明治時代の伊予 (2) 薩長の下級武士が主導した革命政権は、自分の立場を正当化するため、江戸封建体制は誤ちであったと断罪する必要がありました。このため、徴兵制を採用して国民皆兵とし、武士の存在価値をなくしてしまいました。そのうえで士族を廃して四民平等とし、職業選択... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 21. 秋山真之の戦略 人は人生のある瞬間、想像を絶するほどの燃焼をすると、そのあと緊張の糸が切れ、燃え尽きたかのようにひっそりとした人生を送るような気がします。明治37年、秋山真之は日露戦争における天王山、日本海海戦の作戦のすべてを任されていました。作戦に失敗す... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 22. 大正時代の伊予 政府は明治38年(1905年)の日露戦争終了後も依然として軍事費を増強していたため、国民生活への負担は多大なものがありました。大正3年(1914)第一次世界大戦が勃発しました。日本は、日英同盟によりイギリス政府からヨーロッパ戦線への参戦を求... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 23. 昭和戦前の伊予 関東大震災で関東全域が沈滞するなか、昭和2年(1927年)、大蔵大臣の失言に端を発し、東京渡辺銀行が倒産。日本金融恐慌が始まります。当時の日本の輸出は4割を生糸・絹が占めており、その9割はアメリカ向けでした。昭和4年(1929年)アメリカに... 2006.01.11 伊予物語
伊予物語 24. 昭和戦後の伊予 天皇からマッカーサーへ昭和20年(1945年)8月30日、日本の統治者が天皇からGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のダグラス・マッカーサーに代わりました。間接統治とはいえ、我が国が史上はじめて外国人によって統治されることになったのです。ま... 2006.01.11 伊予物語