脳梗塞で倒れ、クロアチアで静養していたオシム氏が日本の思い出を語り、興味ある日本人論を述べている。
まずはその体力差についてである。
日本の選手は欧州の普通の選手ほど走らない。本当は自分が小さいのだから、もっと走らなければならないし、もっと動かなければならない。
日本の選手は闘争心があって動けて、技術的にもまあまあだが、問題は息が続かないことだ。
それにもかかわらず、マスコミにおだてられて天狗になってしまい、努力を惜しむ結果、自滅する選手がいることを指摘する。
才能ある選手は早い段階でマスコミに取り上げられ、早くスターになりすぎてダメになってしまう。よい選手が育つには長い時間が必要で、辛抱も必要だ。
マスコミは常にスターを誕生させなければならない宿命を背負っている。となれば、選手自身に自分を正当に評価し、自制する能力が要求されるということになろう。
そして戦略の核心について語る。
練習するにしてもアイデアがなければならない。
日本人はよそのまねをし過ぎている。
自分を向上させようとしていない。
ほかのチームのすぐれているものをそのまま取り入れようとする。
日本人はドイツ人やイギリス人にはなれない。
相手のいいところを受容したうえで、それをよく消化し、自分にどう生かせるかを考え、己の技術を伸ばそうとしなければならない。
実に日本人をよく見切っているではないか。
君が代を歌い、サムライとか大和魂とか、ほとんど死語に等しい感情語で煽動するマスコミに翻弄され、根生という精神だけで世界を勝ち取ろうとする世間の風潮に警鐘をならしているようにおもわれる。