明治 山本権兵衛、東郷平八郎を後継指名 山本権兵衛の面構えは尋常でない。生来気性が激しく、青年時代から敵を射すくめるような鋭い視線に、相手は思わずたじろぐほどで、幾星霜を経てもその眼光に翳りはない。信念を曲げず、口にしたことには責任をもち、潔いこと、終生変わらなかった。薩摩武士の... 2019.11.29 明治
明治 山陽線 鉄道敷設秘話 「青年時代の失敗体験は、将来の成功の尺度となる。すなわち、失敗をどう思ったか、いかに対処したかで彼の生涯は決まる。」そう言ったのは、普墺・普仏戦争を制し、「ドイツ陸軍の父」といわれる参謀総長モルトケである。モルトケは当時の先端技術「鉄道」と... 2019.11.17 明治
明治 大久保利通の東京遷都 慶応3年、徳川慶喜は大政奉還という奇手をうって、薩長の出鼻をくじいた。倒幕の密勅を得て意気盛んな大久保、西郷は、猫だましを食らったように腰が砕け、武力行使ができなくなった。欧米列強がわが国を虎視眈々と狙っている今、大久保は焦燥の念に駆られな... 2017.03.06 明治
明治 明治維新誕生の不思議 明治維新というクーデターが、頂点に明確な統率者をいだかないまま行われたというのは、どうにも奇妙な現象というほかない。革命勢力の中心となった薩長の藩主、島津久光、毛利敬親はともに郷里にいて、部下のものから戦況を聞くだけである。実働しているのは... 2016.02.27 明治
明治 木戸と大久保の手法 木戸孝允と大久保利通は維新政府の二大巨頭である。比較的リベラルな木戸に対し、大久保は中央集権への志向が強い保守派である。政策上は相容れない部分が多かったが、互いに敬意を払い、相手をたてることにやぶさかでなかった。下からの意見の具申に対し、大... 2006.02.24 明治
明治 廃刀令の皮肉 剣術は戦国期以来、沈下していたが、幕末にいたり一気に興隆し、江戸市中には500の剣術道場ができたという。ところが明治維新とともに再び剣術は廃れた。なにより廃刀令である。ちょん髷を切り着物も草履も脱ぎ捨てれば、洋服に革靴を履いて刀をさすわけに... 2006.02.02 明治
明治 増田宋太郎の涙 明治10年、西南戦争が勃発し、中津藩(大分県)からは増田以下同志64名が薩軍に参加していた。半年後戦局は決し、薩軍が可愛嶽から鹿児島に落ち延びようとしたときである。隊長の増田が同志に向かって言った。「薩人は故郷鹿児島で死のうとしている。われ... 2006.01.24 明治
明治 臥薪嘗胆 臥薪嘗胆は日清戦争後のわが国にとって、国民の合言葉となった。日清戦争を制して遼東半島を領有した日本に対し、南下政策をとるロシアが、有無を言わせず遼東半島を強奪したのである。日本の面目は丸つぶれである。しかし、たかだか20万の兵力しかもたぬ我... 2006.01.23 明治