以上の歴史的事実を俯瞰しますに、東に向かった人々にとって最果ての地ともいうべき日本へ流れ着いた人々は数人、数十人のことも数百人のこともあったでしょう。
ともかく数えきれないほど訪れたなかで、4度はまとまって日本へ入ってきたようにおもわれます。
三万年前
1度目は3万年前、インドネシア・フィリピンのあたりから北へ向かった人達が台湾、沖縄を通って九州南部へ上陸し北上しました。
当時台湾も九州も中国大陸とつながっていたのです。
O型の多い太平洋諸島・アメリカインディアン型の人々でした。
一万四千年前
2度目は1万4千年前、シベリア大陸からマンモスを追いかけた人たちが陸続きだった樺太を通って北海道に入り、南下しました。
インド満州に多いB型の人々です。
バイカル湖付近あるいはチベットからのab3st 型GM遺伝子も持っていたと思われます。
紀元前四千年
3度目は日本列島が大陸から分離してからです。
紀元前4,000年ころ、縄文中期、長江下流域にいたひとびとが朝鮮半島を経由して北九州をめざしたといわれています。
A型と中心とした湖南型の人々で九州西南部へ広がったようです。
afb1b3型GM遺伝子を持っていたと思われます。
ただし数はさほど多くなかったようです。
紀元前三百年
4度目は紀元前300年ころ、戦国時代の余波をうけ、中国東北部にいたB型の多いインド満州型の人たちと長江流域にいたA型の多い湖南型の人たちが混じり合い、朝鮮半島を通って、大挙北九州へ上陸してきました。
これが渡来系弥生人で、それまでいた縄文人を北と南の端へ追いやり、全国に広がっていきました。
こうして弥生時代の終わりには人口は100万人に達し、日本人の7割を渡来系弥生人が占めるに至ったのでした。