口語の成り立ち
口語(話し言葉)は6,000年も前に発生の兆しがみられ、文法・音韻は北方系モンゴロイドの特徴を示していますが、目・耳・口・月・日など基本語といわれるものはマレー、ポリネシアなど南方系モンゴロイドの特徴をもっています。
まず基本的な単語が南方から入ったのち、北方から文法が入ってきて、口語がつくられていったとみるのが自然かと思われます。
漢委奴國王
57年、我が国の奴国王が使者を派遣し奴隷を献上した旨、後漢書に記載されていますから、その当時すでにある程度の日本語が話されていたことが窺えますし、「漢委奴國王」の金印で分かるように漢字もすでに伝わっていました。
しかし当時、我が国にまだ文字は存在せず、234年、ヤマタイコクのヒミコが中国の魏に使者を派遣した際も、その発音を聞いた中国人が「邪馬台国の卑弥呼」という文字を当てて魏志に記載したのです。
邪とか卑などという当て字は決して相手を尊重した表現とは言い難く、当時の日中関係が如実にしのばれます。
最古の文字
最古の文字は5世紀、太刀の銘にわずかに見えますが、実際、文語(書き言葉)が登場するのは8世紀の古事記・日本書紀・万葉集(奈良時代)ということになります。
それまでは、やま、うみという言葉はあっても、それを表す文字がなかったのです。
そのうち自分たちが「やま」「うみ」と呼んでいるものは、中国人が「サン」「カイ」と発音している「山」「海」という文字に匹敵することに気付き、そのまま利用させてもらうことにしたのです。
この「サン」「カイ」を音読みといい、聞いただけで意味が分かる「やま」「うみ」を訓読み といいます。
音読みは当時の日本人の耳にそう聞こえたということですから、現代の中国語音とは随分異なりますし、伝来した時代により複数の音読みが出てきました。
たとえば修行(ぎょう)、行進(こう)、行灯(あん)など行には3種類の音読みがあるようなものです。
かな
また最初は口語の音に漢字を当てはめただけの漢字の羅列にすぎませんでしたが、9世紀になり我が国独自の“かな”が創られたことによって、やっと日本語といえる文章が書けるようになったのです。
ただ、かなだけで書くと意味がとりにくく、表意文字である漢字を混ぜると容易に理解できるところから、漢字とかなの混合文で表記するようになりました。
平安時代初期、カタカナ(片仮名)次いでひらがな(平仮名)がつくられましたが、カタカナは漢字の一部を変形してつくられ、主として公式の文章や学問的な堅い内容の文章に、ひらがなは漢字の草書体から宮中の女官達の手によってつくられ、一般民衆が使う簡略な表記法として発達しました。