人にしてもらいたことを人にする。
そして相手を満足させられなければ、自分もまた満足できない。
これが仏教でいう利他行である。
これは聖書マタイ伝7章の一節である。
倫理性という点では似通った部分をもちながらも、仏教は無神論であり、霊魂は認めない。
したがってキリスト教やイスラム教のごとき神のお告げ(啓示)とか神の予言などというものはない。
紀元前5世紀、釈迦入滅後の仏教界は、釈迦の教義の研究に熱中し、僧侶自身が成仏できるかどうかが問題で、庶民は放置されていた。
これに対し、釈迦の死後700年、『般若経』を編纂するグループが中心となって、民衆に目を向けた大乗仏教運動がおこってきた。
大乗の観点に立ち、一切衆生を救いたいという菩提心を起こし、「利他行」を修行の中心においた。
また仏教者でなくたとえ凡夫であっても、根気よく利他行を続けておれば、来世において成仏できるとした。
またブッダとは釈迦だけに限らない。
過去にも未来にも現われる菩薩が成道し、時空間の異なる世界でそれぞれのブッダとして存在しているとした。
たとえば西方極楽浄土の阿弥陀如来や東方浄瑠璃世界の薬師如来がそれにあたる。
その後、大乗仏教は成熟するにしたがい、前衛的な思想集団により優れた経典が作られていった。
紀元2~3世紀のころであろう。
最初に登場した般若経典では縁起と空が重要テーマであった。
つぎにつくられたのが法華経であり、この経典は我が国にもっとも深く受け容れられた。
聖徳太子を始めとし、伝教大師・最澄も法華経を最重要経典と位置づけ、学僧はことごとく比叡山を目指すようになり、延暦寺は法華経の一大淵叢となった。
その後、華厳経がつくられ、ついで維摩経ができあがった。
最後に浄土三部経といわれる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」が作られていった。
これらの経緯は江戸時代すでに富永仲基らが指摘したとおりで、大乗経典については釈迦のあずかり知らぬところである。
つまり、龍樹らをはじめとする後世の研究者によって創造されたものであって、釈迦とは無関係の経典である可能性が高い。
ただ、その宗教論理はきわめて完成度が高く、幾多の学僧をして帰依するに足るものであった。
その後、これらの経典は中央アジアから中国へ伝わり、さらに朝鮮半島を経て、6世紀、日本に伝来した。
つきつめれば、利他行には自己を捨て去るほどの覚悟が要る。
自分は安全な場所にいて手だけ差し伸べるのでは、もし相手が助かったとしても利他行とはいえない。
ボランティア活動が自己の安全を確認したうえでの行為であるかぎり、利他行を自負してはならない。
利他行はそれほどに過酷なものである。
さすれば凡夫が成仏するのは容易なはなしでない。