世界陸上が終わった。
圧巻はゲイの100メートルだった。自分も学生時代、陸上短距離の選手だった。
同級生に100メートル10秒台の四国チャンピオンがいて、一緒に走ると10メートル近く引き離されたくやしい思い出がある。
当時は彼を超人のようなおもいで見ていたが、9秒台のゲイが彼と走ると更に10メートルの差をつけるのかと、唖然とした思いであった。
走法は足の鋭い蹴りと上半身の腕の振りが最後まで乱れず、美しかった。
学生時代コーチからは、息を止めて一気に走り抜けと指導された。当時口を真一文字に結んで前方を睨みつけたまま走った記憶があるが、ゲイの顔は見事に弛緩していた。
普通に呼吸もしている。意外なほど首から上は力が抜けていた。
そうかあの時受けた指導は間違っていたんだと、この歳になって気がついた。からだの中心は臍の下に置き、足と腕にパワーを集中するという実に合理的な走法ではないか。
早く走るにはいかなる走法をすべきか、当時は真剣に悩んだものだが、それが氷解したおもいであった。こんな簡単なことが、今まで分からなかったのである。だからといって今更どうなるものでもないが、ともかく安堵したのである。
気持ちを一点に集中しなければ勝負に勝てないことは今も昔も変わらない。周囲の騒ぎを消し去り集中力を高める努力を誰もがしていたようだった。
とくに出走前、ゲイがコーチと手を握りあって祈る姿は感動的だった。これほどの実績があっても、傲慢や不遜のない真摯な姿に打たれたのである。