先日私用でロンドンへ出かけた際、子供に付き合って、テートモダンへ出かけた。
なんでも現代美術の宝庫だそうである。
美術館といっても、もとは火力発電所だったというだけあって壮大かつ重厚だ。
かねてから現代美術は、解説を聞かないと理解できないという苦痛に嫌気がさして、足が遠のいていた。
自分ひとりなら来ないところなんだがと呟きながら、ぶらぶら館内を散策していたが、突然ジャコメッティのあの針ガネのごとき人物像に出くわした。
しばしば雑誌などに紹介されている、あの特徴的な彫刻だ。
上半身はなんとかバランスが保たれている。
胴も長めだが骨盤がほどよい大きさで、ここから上ならなんとか理解できる範囲にある。
しかし問題は下肢である。
ともかく異様に長い。
3分の2かせいぜい半分もあればよい長さである。
しかも膝関節がなく、筋肉もそぎ落とされ、足の付け根から指先まで真直ぐにのびている。
細い足に不釣り合いなほど重い靴を履いているため、歩くのに難渋しそうだ。
上肢がやや長いのは上腕が伸びたためで、前腕は普通にみえる。
わが日本人なら、かほどに異様な彫像は造らないだろう。
一体、どこの生まれか?と聞くと、スイスだという。
ならばこういうモチーフはどこから生まれるのであろうか?どうもスイス人であることとは関係がないらしい。
若いころ、シュルレアリズムから脱し具象の世界に戻った彼は、モデルを前に頭をかかえたという。
人物全体を表現しようと彫刻に取り組むと、どうしても人物の一部しか表現できないというのだ。
そこでモデルにもっとうしろへ下がってもらうと、当然だが対象は小さくなっていく。
どんどん下がってもらって、やっと彼は全体を掴めたと得心したという。
全体とは目に見えるモデルの姿ではなく、モデルが発する空気をいっているらしい。
時には自分が後ろへ後ずさりしていき、とうとう相手が見えなくなってしまったというから、凄みがある。
そして生まれたのは10センチほどの小さな作品ばかりになった。
当然ながらこの大きさでは顔の表情まであらわしようがない。
どんどん小さくなってほとんど消え入りそうになったとき、彼はモデルをみつめるのをやめた。
そして実物を見ず、記憶によってのみ制作するようになる。
しかしまもなくそれも行き詰るようになった。
と彼は語っている。
小さな作品のおかげで相手の全体を捉えたという安心は得たが、ほとんど消えてしまいそうな作品を前に、彼は新しい表現の模索に向かう。
そしてデッサンを繰り返していくうち、もっと大きな彫刻を造れるという確信を得た。
彼はいう。
こうして、針ガネのように細く、すらりと背の高い人物が生まれた。
美術評論家ジャックデュパンによれば、
という。
彼自身も
と言っている。
彼の創作がいかに鬼気迫るものであったかを物語るエピソードである。
退屈な日と観念したこの日がジャコメッティのおかげで、記憶に残る一日となった。