海外紀行/KAIGAI

アルプス最高峰 モンブラン紀行

アルプス最高峰 モンブラン紀行

アルプス最高峰 モンブラン紀行

Julius_Silver / Pixabay


モンブランの威容を期待してアルプスに出向くと、がっかりする。

富士山より1,000mも高いというのに、山頂を描く稜線は大福もちのごとき山容である。

かつてインド大陸が南極側から北上し、アジア大陸に衝突したショックでエベレスト山脈が出来上がったと同様、アフリカ大陸が南から北上し、ヨーロッパ大陸に衝突したショックでアルプス山脈が出来上がった。

イタリア半島の北方、東西1,200キロにわたり標高2,000~4,000mの山々が連なる。

最高峰は標高 4,810mのモンブランである。

ライン川もドナウ川もここに源を発している。

古来、ギリシャ、ローマで熟成された地中海文明は、アルプス連峰によりヨーロッパへの浸透を遮られ、中世、バルト海商業圏が地中海諸国と交易するにも、過酷なアルプス越えを余儀なくされた。

戦争もまた同様である。

ハンニバルもカール大帝、ナポレオンも、甚大な犠牲を払ってこの難所を越えねばならなかった。

ジュネーブから南へ車で2時間、山あいの村シャモニーに着く。

第1回冬季オリンピックの開催された地である。

昼前とあって、すでに数百人の観光客がたむろしている。

今から4,000mの山を目指すというのに、半袖姿の軽装が多いのには驚く。

標高1,000mのシャモニーから、はるか上空を見上げると、針のごとく天に突き出たエギーユ・デュ・ミディの山頂が遠望される。

エギーユは「針峰」で、正午に太陽がこの山の頂上に来るところから、このややこしい名がついた。

驚くことに、ここからロープウエイで標高3,800mのエギーユ・デュ・ミディまでをわずか20分で駆け上がるという。

富士山の3合目から頂上までロープウエイを通すというほどのはなしだが、その急勾配を昇降するロープウエイは、斜面というより絶壁を這い上がる観がある。

超高層ビルのエレベーターに乗り込んだ気分でいると、ほどなくエギーユ・デュ・ミディの頂へ着く。

富士山より高い地点だというのに、意外に寒さは感じない。

しかし、急な気圧変化にからだがついていかない。

しばし船酔いに似ためまいを感じた。

それにしてもここから眺望するアルプスのパノラマは圧巻である。

眼前のモンブランはここより1,000mも高いという。

隣のグランド・ジョラスを始め、アルプス連峰が荒々しく屹立するなかで、独りモンブランだけは女性的である。

そういえば、ケーキのモンブランはこの山姿を模倣しているし、ドイツの万年筆モンブランも山頂を覆う雪をイメージして創られている。

モンは山、ブランは白で、年中雪に覆われた白き山である。

山頂付近には登頂を目指す登山家が数名、純白の雪のなかに点在している。

しばし凝視するも、その歩みは遅々として進まない。

ふと学生時代、山歩きに執心した頃を思い出した。

週末になるのを待ちかねて、登山部の友人について1,000~2,000mの山登りを楽しんだ。

案内人となった友人は実直な男で、ペースは落としてもリズムは崩さないこと、草臥れたら数歩先を見ながら黙々と歩くこと、降りる者は立ち止まって、登ってくる人に道を譲ることなど、その都度、訓示を垂れるのだ。

なにしろ弟子は自分ひとりである。

その登山熱も、結婚後は家族の誰からも賛同を得られず、沙汰やみとなった。

下山してジュネーブに戻ると、夕刻であった。

街は整然として汚れが目立たないこと、ロンドン、パリの比ではない。

市電が歩行者のそばを掠る様に通り抜けるのには驚いたが、別段事故はないという。

スイスには国産車がないため、フォルクスワーゲン、ベンツ、BMWなどドイツ車を始め、各国車が目白押しだ。

タクシーは、ガソリンの値上げで、最近日本のハイブリッド車が急増しているとのことだった。

国土の大半が山岳地帯という不利な状況にありながら、銀行、保険、時計、光学器械、化学薬品に精力を傾注し、しぶとく生き残った。

昨年の世界経済フォーラムでは世界一国際競争力の高い国と評価されている。

また奴隷を連行した歴史がないため、黒人が少なく、アジア、中東の人も目立たない。

外国人労働者は少なくないが、旧ユーゴスラビア諸国出身者が多いという。

ただドイツ、フランス、イタリアと隣接した地域では、それぞれ接する国の言語を話して、スイスとして統一言語は持たない。

テレビなどのメディアもそれぞれ言語の異なる地域で独自の番組を放送しているが、大事なところは複数の言語で説明されるため、戸惑うことはないという。

スイスは世界に冠たる永世中立国として知られるが、意外なことに男子は20歳になると兵役の義務があり、有事の際は焦土作戦も辞さないという。

その外交戦略はなかなかに、したたかだ。

「拒否的抑止力」という。

仮に敵国が侵略に成功しても、得られる利益より国際社会の制裁によるデメリットの方が大きいと思い知らせる手法である。

海の孤島・我が日本とは異なり、5つの国に囲まれて生きていくには、それ相応の覚悟がいるのだと思い知った。

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