デカルトとパスカルは、ともにフランス人で稀代の数学者、哲学者である。
デカルトは3代将軍・徳川家光と同時代人であり、32歳で思索の世界にこもり、独自の世界観、宇宙感を構築していた頃、パスカルはまだ少年時代にいる。
当時宗教世界を覆っていたのは、信仰により真理に至るとするスコラ哲学であり、神を知らない人々は真理を知ることができないという考えである。
デカルトはその世界観に反旗を翻した。ひとは等しく良識を持って生まれているのだから、理性に従って自分の頭で考えれば、真理に至るはずだと主張した。
誰もが受容できる原理をもとに理性を正しく働かせれば、宗教、文化の違いを超えて、共通の理解を得ることができるというのである。
当然、神学者からは無神論を広める思想家として誹謗の対象となった。
彼は学問の土台を一から作り上げようとし、先入観を排してあらゆることに疑いの目を向け、徹底した検証をおこなった。その結果、実感したはずの事物でも本当は夢であった可能性があること。
また1+1=2という数学的知識すら邪悪な霊によって誤謬へと導かれた可能性があると考えた。
われ思う故にわれあり
では一体なにを知の基準にすればよいかと思い悩んだ結果、邪悪な霊が自分を欺こうとも、それを疑っている自分がいるという事実だけは動かせないという結論に至り、そこを思索の出発点とした。
有名な「われ思う故にわれあり」という言葉は、ここから導き出された結論である。
彼は理性によって物事を正しく認識し判断できれば、神の存在は実感できると考えた。
すなわち、神は完全な存在であるから、あらゆる肯定的な属性を有している。「全知」、「全能」も肯定的な属性であり、「存在する」も肯定的な属性である。
神は完全であるから、「存在する」という肯定的な属性を含んでいなくてはならず、よって神は存在するとした。
早熟の天才、パスカル
デカルトに20年ほど遅れて登場したパスカルは早熟の天才で、わずか39年の生涯に数学、物理学、哲学、神学など多方面にその才を発揮した。
当初、科学者として活躍していたが、尊敬する父の死を境に人間観察を通して、ひととはなにかという問題に取り組むようになった。その結晶が「パンセ」である。
そのなかで自己愛にふれ、ひとは自分を高く評価して欲しいというおもいが、生きる原動力になっていると看破した。
さらにその自己愛によって、耳の痛い真実を告げられると、逆にそのひとに恨みを抱くようになると言い切った。
また、ひとは何かに夢中になってないと生きていけない生き物で、暇を持て余すことには耐えられない。何かに熱中するのは、死の恐怖から逃れそれを忘れるためだと結論した。
またパスカルは直感を重視した。
世の中の出来事は偶然によっておこるのであり、必ずしも原因がはっきりしているわけではない。デカルトのいうように、必ず原因があって結果が導かれるという具合にはなっていない。
したがって物事の判断には、しばしば偶然や直感がカギを握る。デカルトのように物事を理詰めで判断しようとすると、かえって誤ると考えた。
ひとの存在意義
また彼はひとの存在意義について思索する。
なにより、ひとは自分が死ぬことを知っており、宇宙が自分よりはるかに大きな存在であることを知っている。
確かに、ひとはちっぽけな生き物にすぎないが、唯一、「考える存在」という一点において、思索しない自然・宇宙に優っている。
したがって、相応の存在価値があるとした。有名な「人間は自然のなかの、か弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である」という思想である。
しかしながら、ひとは考える存在とはいっても、その理性は万全なものでなく、必ずしも信頼に足るとはいえない。
これに対し、神は無限であり、宇宙も無限である。人間はその無限のなかの一瞬の時間を生きているに過ぎない。
したがって理性によって人間が知ることのできるものは、ほんの僅かでしかない。そんな人間が神の存在をとらえるなどということはほとんど不可能で、神の恩寵(おんちょう)がなければありえないとした。
パスカルもデカルトもともに神の存在を信じているが、個人の理性を重視するデカルトに対し、パスカルは理性には限界があり、信仰を優先させるべきだとした。
さらにパスカルは、「ひとの心は常に変わる。現在の自分はもはや過去の自分ではない」という心境に至る。諸行無常の世界感といえる。
この点、まわりが変わっても、自分は変わらないというデカルトと好対照である。
「パンセ」はパスカルの死後、乱雑に残された草稿の断片を友人が集めて1冊の本にしたものである。
人間観察が鋭いため、400年経った今も、この若者のつぶやきは人々の肺腑を衝いてやまない。