農業国家
近年、日本人の半数が大都会へ流入し、田舎で農業をするものが激減した。その結果、食料自給率は40%を切り危機的状況を呈している。
しかしそれはこの数十年の異変であって、我が国は2000年間、水稲農耕で生きてきた正真正銘の農業国家である。
その気質の多くは長い年月をかけて農村で培われたものであって、最近のドライな都会人気質に違和感を覚える年長者は少なくあるまい。
そもそも農民にとっては、食料を産みだす土地はかけがえのない宝であり、土地を守り子孫に受け継いでいくことが生存の必須条件であった。
遊牧民のように移動して生活することはありえない。土地に執着するがゆえに、他人の侵入は決して許さないという気分がある。
そのため、ムラの代表者は自分たちの土地を安堵してくれるものでなければならない。派手な社会改革よりも、ムラ社会の安寧を保ってくれるひとが望ましいのである。出自のはっきりした、安心のおけるひと。これが政治家2世の多い理由となっている。
このような精神風土では革命家や独裁者はかえって忌避される。
都会人とムラ意識
都会人になると、土地を安堵という条件がない。給料が上がり快適な生活を保証してくれる人を代表に選ぼうとする。したがって地方に比べ、改革を求める気分が横溢している。
また、ムラ意識がないため、隣人との関わりを避けようとする。自分のことは自分で責任を負う意識が強い。彼らがもつコミュニティーはあくまで会社組織である。ここでは上下関係がはっきりしているが、ひとたび退職すれば、この社会とは無縁になるという儚さを持っている。
また我が国は孤島のため、元寇の役と太平洋戦争以外、外国の侵入に脅かされたことがなく、国家として統一した理念をもつ必要がなかった。対外的には、2000年間のんびり生きてきたといえる。
この点、諸民族が集まって、平和と自由という統一理念のもとに、人工的に国家をつくりあげたアメリカや、国家の維持のため何世紀にもわたって血を流しつづけたヨーロッパ諸国とは大いに異なる。
それはお上のやること
黒船の脅威に幕府が右往左往していた幕末の頃のはなしである。
幕府は早急に日本海軍を設立し、外国船に対峙する必要性に迫られていた。このため、オランダ海軍に依頼して長崎に海軍伝習所を急造した。その教育班班長が、後に海軍大臣となるカッテンディーケである。
彼の「長崎海軍伝習所の日々」によれば、長崎の街で商人に、町の防衛はどうなっているかと尋ねたところ、「それは幕府のなさることで、我々は知りません」と答えたという。ひとはいいが、自分たちで国を守るという意識がまるでないのに、驚いたというのである。
多大の血を流してスペインから独立を勝ち取ったオランダ人にとってみれば、この日本人の気軽さは異様に映ったことだろう。
はたして現在の日本人はどう変わっただろうか?
尖閣諸島、竹島問題に目の色を変えている日本人はどのくらいいるのであろうか?集団的自衛権を、自分の身に災いが及ばなければどちらでもいいとする日本人はどのくらいいるのであろうか?
「それはお上のやることでしょう」といった長崎の市民感覚は、今のわれわれにも着実に受け継がれている気がしてならないのである。