法華経が大乗仏教の代表的経典として、紀元2~3世紀に登場したことは先に触れた。
法華経は妙法蓮華経の略で、妙法は真実の法の意である。
蓮華は蓮の花であり、泥の中から美しい花を咲かせる姿に、仏教者は己の生き方を感じ取ったのである。
泥は欲望や嫉妬の横溢する煩悩世界であるが、いやなことに目をそむけず、正しいと信じる道を真摯に取り組む姿勢を貫けば、仏となる蓮は泥の中に根をはり、泥から出て美しい花を咲かせるというのである。
法華経の前半部では般若心経でとりあげた空をもう一歩踏み込んで論じている。
つまり目の前に存在するものには、実体も我もない。
すべてのものは因縁によって存在するにすぎないから、その中に自我は存在しない。
したがって実体にとらわれてはならず、罪科にかかわらず、すべてのものは仏になれると説く。
久遠実成
後半部では久遠実成(くおんじつじょう)がテーマにとりあげられ、縁起の重要性が再認識させられる。
久遠実成とは釈迦牟尼が今生で初めて悟りを開いたのではなく、過去世においてすでに成仏していたというものである。
その永遠の存在である仏が、この世の一切の衆生を救ってくれ、成仏させてくれるというのである。
仏教伝来以来、我が国の仏教世界は法華経を中心に形作られてきたといってよい。
古くは聖徳太子が法華義疏(ぎしょ)を著わし、平安時代、天台宗を開いた最澄もまた法華経を教義の中心においたのである。
にもかかわらずその教えは必ずしも衆生に理解されたとはいい難く、しばらく法華経は日の当たらない状況にあった。
日蓮と折伏
そうしたなか、日蓮が登場する。彼は10年間比叡山に学び、あらゆる経典を渉猟した結果、法華経こそが釈尊の本意を説きあらわした真実の教えであり、現世を救う唯一の教えであると確信したのである。
そしてひたすら「南無妙法蓮華経」と唱えれば、人の心に仏性が目覚め、成仏できると説いた。
つまり、仏は永遠に衆生一切を救済してくれるのであるから、我々もいずれ必ず成仏できると信じなさい。
そして、いやなことから目をそむけず、現実をあるがままに受容して、積極的に対処する強い意志が大切であることを強調した。
こう考えれば現実社会は仏国土にすらなる。
それにしても日蓮の生き方は激烈である。
他の宗派に対し極めて排他的で、法華経以外の経典はことごとく拒絶した。
そして地震や疫病が浄土宗など邪法の信仰に起因するとし、最高権力者・北条時頼に、正法である法華経を中心(立正)に置けば、内憂外患は去り国家は安泰(安国)になると力説した(立正安国論)。
彼の語気には力が漲り、折伏(しゃくぶく)という相手をたじろがせ屈服させる迫力があった。
折伏は、破折屈伏(はしゃくくっぷく)の略で、正しいものは正しいと言い切る姿勢が問われ、末法の世においてはこの布教法しかないと日蓮は考えたのである。
流刑と法華宗
しかし彼の訴えは幕府に聞き入れられず、逆に拿捕され伊豆へ流される結果となった。
その後、日蓮は死の危険に瀕しながらも主義主張を曲げないため、ついに佐渡へ流刑となった。
彼の反骨は、幕府の脅威に屈せず死を決して持論を述べ、個人の救済という次元を超え、法華経による国家の救済を論じた一点で際立っている。
彼はひとが煩悩から抜け出せない存在である以上、自分が受難をうけるのは当然であり、それによってこそ自己の罪は消滅すると考えた。
日蓮により再び日照権を得た法華経は、法華宗(明治以降日蓮宗)として生き残った。
以後、仏教世界で巨大宗教集団を形成しえたのは浄土真宗と法華宗であろう。
彼の現世重視は当時の社会には受け入れなかったが、のちに京や江戸の町人から圧倒的な支持をうけた。
また、驚くべきことに、明治以降、数多くの新宗教が湧出したが、その多くが、日蓮宗系(立正佼成会、霊友会、創価学会など)であることも注目に値する。
時を超え、彼の現世重視主義が共感を呼んでいるのであろう。