江戸時代 明神の秀吉、権現の家康 538年、仏教が日本に入ってきたときから、神の子孫とされる天皇家では、自身の神と仏のとり扱いに頭を悩ませてきた。奈良時代のはじめ、聖武天皇は仏教に帰依し、東大寺に大仏を造って人心を掌握しようと目論んだ。ところが、神の子孫である天皇が仏を信仰... 2020.11.01 江戸時代
日本人の宗教心 東大寺二月堂に集うひとびと 毎年、 3月 1日になると東大寺二月堂の「お水取り」が、ひとびとに春の到来を告げる。 もともとこの法会は、修二会(旧暦二月に修する法会)と呼ばれ、選ばれた練行衆と呼ばれる 11名の僧によって、旧暦の 2月(新暦では 3月 1日)より 14日... 2020.09.22 日本人の宗教心
日本人の宗教心 唯識 かつて南都北嶺といって、その威風は朝廷から一目置かれるほどであった。南都は奈良、といっても興福寺、北嶺は比叡山延暦寺を意味し、ともに平安時代、寺院でありながら圧倒的な存在感を示した。なぜ寺が、と言われそうだが、じつはともに巨大な荘園領主であ... 2019.12.13 日本人の宗教心
四季雑感 台風の目 台風はなにも最近になって来始めたわけではない。平安期の「扶桑略記」に台風襲来の記述があり、鎌倉期には博多に押し寄せた10万の元の大軍が、台風によって沈没している(弘安の役)。昔から、わが国は台風とは切っても切れない間柄である。悪意に満ちた台... 2018.08.03 四季雑感
鎌倉時代 運慶のリアリズム 建仁3年(1203年)は運慶にとって記念すべき年となった。東大寺南大門に巨大な金剛力士像が完成し、運慶は僧侶の最高位・法印に任ぜられたのである。すでに治承4年(1180年)、平重衡(清盛の子)が、ことあるごとに平氏に反抗的な奈良の仏教徒に腹... 2018.06.25 鎌倉時代
日本人の宗教心 神をとるか仏をとるか もともと我が国の神は自然崇拝から発したもので、八百万の神々が山川草木至る所、家のなかにもおられるという。古代人は神のおはしますところを掃き清めて祈りを捧げ、感謝や心の救済を願っていたとおもわれる。ところが7世紀にいたり、アマテラスを押しいた... 2018.04.22 日本人の宗教心
世界史ひとこま 洛陽のこと 9秒984年前、高校生だった桐生選手が100㍍を10秒19で走ったニュースは、驚きをもって迎えられた。近い将来9秒台で走る最初の日本人になるだろうと、多くのものが予想した。それだけに今回の9秒98は、本人にも我々にも待ちわびた朗報といえるだ... 2017.09.12 世界史ひとこま
古代 渡来人のこと 北朝鮮と日米韓の軋轢が高まる中、ひとたび戦火を交える事態ともなれば、朝鮮半島からの難民が大挙わが国を目指す可能性が現実味を帯びてきた。じつは過去にも似たような事態があって、一度目は紀元前300年ころ、戦国時代の戦火を逃れ、中国東北部にいたイ... 2017.04.25 古代
古代 弥勒菩薩半跏思惟像 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像が国宝第1号に認定されたというだけで、当時からこの像がいかに魅力的な存在であったかが分かる。仏像にしては珍しく、座位で右足先を左大腿に乗せ、右膝頭に右肘をついて物思いにふける半跏思惟像である。どちらかというと、人気... 2017.03.21 古代
平安時代 藤原氏はどこへ行ったか? 藤原氏は大化の改新の立役者である中臣鎌足を始祖とする。もともと中臣氏は代々、神事・祭祀を司る宮廷貴族であった。中臣鎌足は死に望んで天智天皇より藤原姓を賜り、息子の不比等からは中臣氏でなく藤原氏を名乗るようになった。ちなみに藤原の名は鎌足の故... 2014.12.17 平安時代
鎌倉時代 本願寺物語 もともと本願寺はお寺でなく、廟堂である。1262年、親鸞は亡くなったあと、「大谷」の地に納骨され、のちに信徒が参詣するための廟堂が建てられて「大谷廟堂」と尊称された。廟堂は親鸞の末娘・覚信尼の子孫が代々世襲、管理するようになり、3代あとの覚... 2014.10.27 鎌倉時代
鎌倉時代 異色の上皇 ”後白河上皇と後鳥羽上皇” 現役の天皇が次の天皇を意中のひとに継がせるため、早めに天皇を辞して上皇となり、若き天皇が育つまで後ろから操る傀儡政権の仕組みを、院政と呼ぶ。院とは上皇のこと。したがって院政をしいて権力を振るう上皇は「治天の君」と呼ばれた。最高権力者の意であ... 2014.10.19 鎌倉時代
古代 六朝文化の伝来 我が国ではしばしば空白の4世紀といわれるが、この時期全国の豪族なかで頭ひとつ抜けたヤマト連合政権が前方後円墳をつくって諸豪族に威容を見せつけ、一方では鉄の産地任那、百済に吸い寄せられるように朝鮮半島へ乗り出した。武器、生活器として鉄を持つも... 2013.04.05 古代
日本人の宗教心 儒教精神 突然、君は儒教の教えに従って生きているかと問われたら、とんでもないと答えるだろう。そんなことは考えたこともないというだろうが、親孝行をしなければとか、弱いものには思いやりをもって接するとか、嘘はつかないとか、目上のひとには礼儀正しく接すると... 2012.12.17 日本人の宗教心
平安時代 日本料理中興の祖・藤原山蔭の包丁式 平安の初期、料理通であった光孝天皇が四条中納言、藤原山蔭に命じて料理作法(庖丁式)の新式を定めた。当時、遣唐使を通じて唐の食習慣・調理法が日本にもたらされ、これが日本風に消化されたものを故実という形で藤原山蔭がまとめあげた。山蔭は初めて食物... 2012.09.12 平安時代
海外紀行 トレドと石山本願寺 数年前、自宅近くの道後温泉に弥生時代の環濠集落がみつかった。集落は幅10メートルに及ぶ史上最大規模の環濠で囲われており、周辺に住む無頼の輩からしばしば略奪の被害にあっていたことが窺われる。昔からひたすら生産に専念するひとびとと、産物の略奪を... 2011.05.16 海外紀行
日本人の宗教心 絶対他力 我が国で浄土といえば、通常、阿弥陀仏の極楽浄土を意味している。その極楽浄土に念仏を唱えることで往生できるという浄土信仰は、すでに飛鳥時代、インド中国を経て我が国に伝わり、浄土教として上級貴族の間に浸透していた。平安中期(1052年ころ)、釈... 2010.01.06 日本人の宗教心
日本人の宗教心 妙法蓮華経 法華経が大乗仏教の代表的経典として、紀元2~3世紀に登場したことは先に触れた。法華経は妙法蓮華経の略で、妙法は真実の法の意である。蓮華は蓮の花であり、泥の中から美しい花を咲かせる姿に、仏教者は己の生き方を感じ取ったのである。泥は欲望や嫉妬の... 2010.01.06 日本人の宗教心
四季雑感 憑依するひとびと 若い頃山が好きでよく登った。ひとりうっそうとした森の中を歩いていると、まわりに何かいるような気配を感じた。人ではない。言葉に表しにくい山の精ともいうべきなにかである。縄文時代の人口はたかだか50万である。山に入ればまわりに人影とてなく、歩け... 2006.10.09 四季雑感
平安時代 藤原泰衡の苦悩 100年続いた奥州藤原氏最後の当主・泰衡を評価したい。1189年、頼朝の攻撃を受けた彼は、平泉に陣をしかず、北へ逃走した。通常、強大な相手に攻められた場合は、堀や土塁を築き、館にこもって、焦土作戦をとるのが普通だが、彼はそれをしなかった。彼... 2006.05.21 平安時代
平安時代 お大師さん 四国八十八ヶ所には、一年を通しお遍路さんの絶えることがない。その白装束の背には、遍照金剛と墨書されている。遍照はあまねく照らす、金剛とは永遠に不滅の意である。若き日の空海が留学先の中国で、密教の第1人者恵果から与えられた称号である。かつてお... 2006.01.22 平安時代
四季雑感 スポーツ談義のつもりが テニス界では、今や18歳のシャラポアが大ブレイクしている。先日も、浅越は日本を代表してシャラポアと戦っているのに、メディアはひたすらシャラポアを追いかけている。そりゃああまりじゃないかといってはみても、シャラポアを応援して浅越を振り返らぬ日... 2005.02.13 四季雑感