近年、若き臨床医の目線は、間接的手法を飛び越え、直接、病変に迫る診断・治療へ一目散に向かっている感がある。
現実的とも短絡的とも揶揄される。
内視鏡の世界も目まぐるしい。
胃腸はいうに及ばず、肝臓・胆管・すい臓・膀胱・尿管・子宮へと次々にカメラが入り、その病巣を画面に描き出す。
電子スコープというカメラの登場で、直径数ミリの極細チューブでもって、鮮明な画像をとらえることが可能になった。
自然、初心者・熟練者の別なく、容易に病変を発見できることとなった。
技術差のない世界は多くの危険を孕む。
長い修練の果てに得られる技術があってこそ、師弟関係が保たれる。
教わるものがなければ弟子は師を師とも思わず、師は弟子にものが言えない。
もう少しいうと、カメラを挿入するには若干の技術がいる。
それに必要なのは能力のある医師でなく、器用な医師である。
当然年寄りは若い者にかなわない。
ところが、ここで事態は一変する。
たとえ病変を見つけても、それをどう処置すればよいかは能力の問題なのだ。
能力は初めから存在しない。
時間をかけた洞察と成功・失敗の繰り返しという経験が基となる。
この最後のステップがないがしろにされているではないかと、年寄りは愚痴をこぼす。
一方、技術を得た若者は老人のたわ言として、聞かぬふりをする。
さらに補足すれば、若干の技術とはいえそれを持続することは容易でないし、絶えず新しい技術を習得し続けなければほどなく過去の存在となる。
技術者とはそういう宿命を担っている。
このことを真剣に考えた人に世阿弥という人物がいる。
彼は“風姿花伝”のなかで、青春期にふっとあらわれる自然な美しさを時分の花とし、まことの花ではないと念を押す。
ここにいう花とは能の美しい姿・形の意である。
まことの花は稽古に稽古を重ね、自分の芸の位(あり方)を深く公案することによって得られると説く。
そして、能を尽くし工夫を極め尽くしたものだけが花の失せぬところ(至上の世界)を体感できるのであり、スポーツや芸能をはじめおよそ技術というものは研ぎ澄まされていくと、ことごとく省略が効いて無駄がなく、芸術的というべき美しさを現出する。
まことの花というべきものであろう。
しかし、花の盛りが過ぎ、歳も45に至れば、芸そのものは落ちなくても体力は衰え、見た目の美しさが失われる。
よき相手を求め、相手に花をもたせ自分は年に似合った風体を着飾らずに演じよという。
そして、もはや50をすぎれば“おほかた、せぬならでは手立てあるまじ”といい、何もしない以外に手立てはないと、いったんは突き放す。
がしかし、なにも見せ場がなくなったとしても、老後の初心(年老いて初めて学ぶ老人に似合った芸)を忘れなければ、花だけは残るであろうといい、一生創意工夫を忘れないようにと締めくくっている。
世阿弥は、一生を通じ初心を忘れず生き抜けば、これが最後というときはない。
上達していく姿のまま一生を送ることができる。
能の果てを見せないで一生を送るのが当流の奥義であり、子孫に残す秘密の口伝であるとした。
彼の頭はますます深層へと入っていき、能の世界を抜け哲学を論じるに至る。
すなわち、住する所なき(常に留まることがない)をまず花と知るべし(一所不住)といい、ついには、花とて別にはなきものなり(花もまた無である)と極言するに至る。
あたかも禅の公案を聴く思いがする。
600年も前に、技術についてこんなに思いつめた男がいたのかと、感慨もひとしおである。
ちなみに、この室町の書は秘中の秘として代々口伝され、衆目を集めたのは明治も終わりになってからであった。