オリンピック大会組織委員会の森喜朗会長の女性蔑視発言が物議を醸しだし、連日、国民からノーを突き付けられた結果、やっとご本人が辞意を表明し、嵐は終息した。
「日本は天皇を中心としている神の国である」、「大阪は痰ツボ。金儲けだけを考えて、公共心のない汚い町」、「無党派は寝ていてくれればいい」「子どもを一人もつくらない女性が、自由を謳歌し楽しんで年取って、税金で面倒見なさいっていうのはおかしい」、「女性は競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです」等々。
周辺は、軽妙な冗談として語ったもので、決して本心ではないと弁護するのだが、わきが甘いと糾弾されてもやむを得ないだろう。
むしろ彼を責任者に指名した方こそ、責任を問われるべきかもしれない。いずれにしても潔い引き際とはとても言えぬ幕切れであった。
責任のとりかた
責任のとりかたについては、かつて我が国は決して他国に劣るものではなかった。
とりわけ幕末において、それは鮮明であった。
たとえば幕末、薩摩の武士は、自分に非があるとした場合は、他人から指摘される前に腹を切って身の証を立てたという。これをみた外国人が「この国には法律が要らない。法で罰する前に、本人が非を認めて腹を切る」といって、驚愕したというエピソードが残っている。
そこまではいかなくても、幕末武士のケレン味のない面目の施しかたは、尊王攘夷を唱える“もののふ”の覚悟を示していた。
残念ながら、今日その気概は、僅かな残滓を留めるにすぎない。
今日の責任のとりかた
たとえば今日、組織内に不祥事がおこると、担当者個人に責任を負わせ、組織全体の安寧を図ろうとする傾向がある。
また、危ない橋は自分では渡らず、部下に渡らせる。失敗すれば彼だけに責任を負わせ、腹を切らせて幕引きをはかる。
「組織のためだから君ひとりで責任を引き受けてくれ」という説得は日本独自の説得法だろう。
なぜか部下にもそれを了とする空気がある。ときには、思い余って自殺行為に至ることすらある。 まるで主君に仕える忠臣の世界ではないか。
我々の多くは、証拠を隠蔽して平然とする組織と、黙って責任を負う犠牲者の構図を察知しながらも、無力感を感じて寡黙になる。
それは政界、経済界を問わずどこにもみられるわけで、民主主義とはこういうものかと思い知らされる。
忠臣の世界
古来、忠臣は主君の犠牲となって腹を切った。明治以後は天皇のために犠牲となって特攻隊に身を捧げるということをした。
戦後、主君も天皇もいなくなったら、今度は勤める会社に身を捧げるようになった。
どうも一朝事あれば腹を切るという精神が、いまだに引き継がれているかのようである。
忠孝は儒教の徳目であるが、江戸時代、徳川家がみずからの保身のために、荒ぶる諸大名を矯めるため、さかんに「忠」を奨励した。忠か孝かと問われれば、忠を優先せよと教えた。
家族を犠牲にしても主君を重んじる空気はこうして醸成された。
かくして「忠」は、今日「忖度」という形に姿を変え、社会に重きをなしているようだ。