灯明に離れてすわる 朧かな
俳人・斎藤梅子氏の名句だが、灯明から離れたところに漂うほのかな余情を朧と詠んだのである。
朧はぼんやりと霞んだ景色であり、うっとりした気分が漂う。
われわれ日本人は、ことのほかこのような風景を好むように思うが、考えを進める際にも、明確な結論を避け、曖昧に済ませてしまう傾向があるとよくいわれる。
有史以来、国家間紛争の絶えなかった大陸においては、各国のリーダーは部下を統率していくために、自分の態度を鮮明にすることが不可欠であった。
そこへいくと島国にはこの手の紛争が少ない。しかも我々は農耕民族で、従順である。戦国の一時期を除けば騎馬集団のごとき戦略・戦術を必要とせず、耕作仲間の融和を保つことが第一とされた。
古来“和を以って尊し”とされ、個人的発言は控えるのを是としてきた。
したがって「口は災いのもと」であり、「沈黙は金」とまで評価され、「以心伝心」、話さずとも相手の腹のうちを読むことが徳とされた。
その場の空気を丸く収めるためには、相手に不快なことを言ってはならない。
たとえ相手が気に入らぬことであっても、不快を不快と思わせず、やんわりと伝える技術が発達したのは当然といえる。
おもいやり表現として、日本人の誇るべき美徳となった。
だが一方では、自分の発言に関わる責任を逃れるため、さまざまな工夫を凝らした。
このため肯定とも否定ともとれる曖昧な言葉を生み出し、こちらの意思を聞き手の判断に任せるという保身術を編み出したのである。決して美徳とは言い難い。
「一応」、「いやいや」、「そのあたり」、「ちょっと」、「~とか」、「どうも」、「とりあえず」、「まあまあ」等々。
このように、見方によってどうにでも解釈できる玉虫色言語が量産されていった。
ところが黒船来航以来、我が国は自給自足の農業国家から一転、貿易立国を志したのである。
このため外国との折衝では、YESか NOか態度を鮮明にしなければ相手にされぬこととなった。
こうして玉虫色は一時窮地に立たされたが、したたかに生き残った。政治家が大いにこれを利用したからである。
最近新聞のコラムに、我が国の首相の腕には「Oさま命」という彫り物がしてあるかもと書かれていた。
沖縄県民とオバマのどちらにもいい顔をする、玉虫色の態度を揶揄したものである。
しかし「Oさま命」と言われていい気になるのはしばしの間であって、その場しのぎにすぎない。
玉虫色は政治利用されるかぎり存続するかもしれないが、後味が悪い。
いずれ飽きられて、消え去る運命にあるのではないだろうか。