戦国時代 正親町(おおぎまち)天皇のこと 頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、我が国の国土は朝廷と鎌倉幕府で二分され、鎌倉の勢力が徐々に凌駕する勢いにあった。これに反発する後鳥羽上皇は、天下の宝刀「院宣」を発すれば全国の武士はこぞって京へ参集するものと考えた。そこで、意を決して鎌倉に挑戦... 2021.11.14 戦国時代
戦国時代 秀吉、家康が恐れた男・黒田官兵衛(如水) 関ヶ原の戦いのあと、帰国した黒田長政が、父・官兵衛に戦勝報告にやってきた。「この度の勝利はひとえに甲州殿(長政)のはたらきによるものである。この功に何事をもって報いるべきといって、家康殿は自分の手を3度もとって感謝してくれました」と、長政は... 2018.06.11 戦国時代
戦国時代 細川幽斎の処世術 戦国期における細川幽斎の名は、戦国武将のあいだに特別な響きがあったとおもわれる。剣術、弓術の達人であるばかりか、和歌・茶道・連歌に精通し、鯉料理の達人にして囲碁や猿楽にも造詣が深い、人もうらやむ風流人である。幽斎は足利家一族の出身であり、将... 2018.06.08 戦国時代
戦国時代 細川幽斎・忠興父子の身の処し方 細川藤孝(幽斎)のように才気ばしった男は、まわりがよく見えるだけに、人より先に行動してしまうため、かえって墓穴を掘ることが少なくない。毎日が命がけの激動期には、このような人物が長命を保つことは稀である。藤孝は足利義昭を皮切りに、信長、秀吉、... 2017.08.11 戦国時代
戦国時代 太閤はんの大阪城 その昔、大阪の地は海のなかにあった。そのなかで南北に丘陵をなす上町台地だけが、半島のごとく海に突き出ていた。台地が盛り上がったのは、豊中から岸和田に至る断層の動きによる。上町台地の東側にある河内湾と西側の大阪湾には、長い年月を経て、淀川・大... 2017.06.25 戦国時代
戦国時代 豪勇、佐々 成政(さっさ なりまさ) これ以外生き延びる手はないという危機的状況でなければ、だれも真冬の北アルプスを横断するなどという、無謀な冒険はしないはずである。ところが400年も前にその無謀に挑んだ男がいる。富山城主・佐々 成政である。戦国期の動乱のなかで、成政は切羽詰ま... 2016.05.21 戦国時代
戦国時代 近江守護・京極氏のことなど 室町幕府は守護大名の連合政権といえる。幕府本体が頼りないため、有力守護は政権維持のために、やむなく郷里を離れ京に住まなければならなかった。このため守護は、自分の領地の経営を他人に任さなければならなくなり、ついには領主の地位を乗っ取られてしま... 2006.03.25 戦国時代
戦国時代 千代の深謀遠慮と家康 秀吉が逝去したあと、家康は頭が痛かった。自分の齢を考えると、天下を窺うに時間はさほど残されていない。このまま争乱もなく、平和が続くようなことになると大変である。覇権を握るためには、秀頼を支持する勢力を、なんとしても短期間に抹殺しなければなら... 2006.03.02 戦国時代